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twitter上のリプライについて

ツイートの趣旨がうまく伝わらずに、リプライを見て意表をつかれて自分の表現力のなさを突き付けられることがこの頃よくあります。

あらゆる誤読は美しい、とプルーストは言っていますし、また様々な解釈を生むことがダイナミックスを生む可能性もあるとは思いますが、それにしてもどうして発言の意図が伝わらないのだろうといろいろ考えてみました。

ひとつには一部の人は初めから「いいね」と思えるツイートを探している、つまり自分が同意できるツイートを見つけることで自分の考えが強化される(「みなそう言っているし」)のを求めているのではないか、ということがあると思います。

あるいは、それと同様のことの裏返しですが、自分の考えへの共感を求めたい気持ちが先行して、それに反するように見えるツイートに対して、深く考えることもなく脊髄反射的な反発をそのまま発言してしまう、という傾向もあるのではないか、と思います。そういう場合、たかが140字であってもそのすべてを読むのではなく、その中の一部のフレーズに反応してしまうということも多いようです。

アインシュタインは「知性とは自分からどれだけ離れられるかだ」というようなことを言っていますが、そういう点で知性に欠けている人が多いのでしょう。これは知的レベルが高いとされている人たちにも、いや自分の考えは確固たるものだと思っている人たちにこそ当てはまるのかもしれません。

先日、私は次のようなツイートをしました。

皆が安心して暮らせる社会を目指すとかいう人もいるが、そんな社会はこれまでもこれからも存在しない。安心という幻想は自らに麻酔をうつものの戯言に過ぎない。生きているということはリスクを伴うのだという当然の認識を出発点とした上で、どうすれば比較的リスクを回避できるかを模索したいものだ。

このツイートで言いたかったことをまとめるとこういうことです。

まずは絶対的な安心などは存在しない。生きているものはみな不確定にさらされているのであり、生は次の瞬間に死ぬ可能性を常に孕んでいるのだということ。これは当たり前のことでありながらある程度以上平和な社会に生きていると忘れてしまいがちなことです。メメントモリ(死を想え)という言葉を座右の銘としておきたいものです。死が意識された生だからこそ生の重み、充実感、輝かしさを実感できるとも言えるでしょう。

 次にリスクが常に身近にあるのだということは震災や原発の恐怖を実感した3・11以降の共通認識だといえるでしょう。喉元をまだ過ぎぬうちから忘れたことにするわけにはいきません。しかし、人は「絶対、安心」「皆が安心して」などと言ってくれる人に寄りかかろうとしがちです。そして寄りかかることで自らの責任と行動を放棄してしまうのです。「原発は絶対安全」と言い続けられてきた言葉がどう裏切られたのかを知った直後だというのに。もちろんそういう発言をする側は、責任を放棄すること、自らに麻酔を打つことによって居心地良くなれるよ、と誘惑しているのです。

しかし、自分の安心感を人にお任せするわけにはいかないのは自明のことでしょう。もちろん、自分だけで自分が安心できる環境を作ることはできませんから、自分を含むより大きな社会(地域や国)に働きかけることも必要になります。そうすることでリスクを減らしていくことが可能になります。

リスクゼロなどはあり得ないと認識したうえで、どうすればどのリスクを軽減できるのかを具体的に見極めて行動していくことしかないだろう、自ら行動しないで安心感を求めるのは、こどものおねだりと同じ感性なのだろう。

ついでにいうと、受験生が「これだけ覚えれば大丈夫ですか」とよく聞きに来ます。不安な気持ちも「大丈夫だ」といってもらいたい気持ちも十分にわかりますが、私はこう答えます。「単語をいくつ覚えればもう未知の単語に出くわさなくなる、ということはない。どれだけ覚えてもまだ足りないのだよ。しかし1つ覚えれば1つ分は不安が解消されるだろう。そして読解力をつければ未知の単語の類推も可能になる。多少知らない単語があってもまあまあ読み進められるようにはなるよ。だからゴールを決めないで1つでも多く覚えることで1つずつ不安を解消していこう。さらに言っておくと入試は大体7割の得点率で受かるのだから完璧など目指さなくてよい。勉強の途中で受験し、ある程度を超えていれば受かるものなのだ、と考えておこう。」

社会システムなどはそもそも虚構から成立しているのですから、そこに完全性などありえない。だから一つずつ補修したり改築増築していったりすることでその時々に想定される理想型に近づけていけばいいし、理想型そのものも変化していくことは想定しておくべきでしょう。いきなり理想を実現可能であるかのように語るものはおそらく嘘つきだと言えるでしょうしそれこそ社会にとって大きなリスク要因ともなりえます。

さて、このツイートへの反応を紹介しておきます。リプライしたくれた方をさらすことになりますが、つるしあげるようなことをするつもりはないのであしからず。

(1)それは精神論だと思います。(この表現が妥当かどうか微妙ですが)。 実際は国策ひとつで、あるいは国が国民をどう考えているかで(大抵は搾取の対象ですが)そこに暮らす人々の明暗や運不運が決まります。全て(とはいいませんが)構造の問題だと思います。

確かに構造によって人々の明暗が決まるということは言えるでしょうが、本来的には国の形を作るのは人々であるということも忘れてはいけないでしょう。とはいうものの、この反応が私のツイートのどこから生まれるのかが理解できません。自らの責任を果たさず自らのリスクについては麻酔を打って(もらって)「(発展の)利益だけは受け取りたい」「安心を恵んでもらいたい」という「人々」の心性が今の「国」を作ってきたのではないでしょうか?国と人々を2項対立としてとらえることはできません。

同じ方の次のツイート
(2)圧倒的な無力感をお持ちでそれを前提にそんな社会はないと断言されていたので、それは違うんじゃないかと思い、ついツイートしました。安心して暮らしていける社会は皆で作っていくしかないと思います。それぞれがいなごのようになって体制への無関心をやめれば実現可能だと

結論は大いに賛成で私もツイートの最後でそう言っているつもりです。しかし「圧倒的無力感」をどこから読み取ったのでしょう。たとえば「人と人が完全にわかり合うことなどない」というのは当然のことで、理解不能性を前提としたうえで一歩でも理解していこうと具体的に糸口をたどっていくのが正当だと私は思っています。理解不能性を「圧倒的無力感」と言ってしまうならば、「理解可能だ」は「妄想的全能感」とも言えるでしょう。「話せばわかるはずだ」とか「人間同士わかりあえるはず」というのは傲慢というものでしょう。「話せばわかるはずだ」と言いながら話そうとする人と話すとたいていはこちらが疲れ果ててしまうものです。「話せば今よりはわかるだろう」「人間同士だから理解可能な部分も多いにあるだろう」という言い方に留めておいて頂きたいものです。

さらに別のツイート
(3)先人たちの努力で、戦国時代や第2次大戦中に比べれば、現在日本は、安心して暮らせる世界になっていて、戦争に対するリスクがかなり低くなっています。故に、安全で安心できる社会を目指すことは、幻想に惑わされて、麻薬をうちながら行動しているものが行ってはいない。

「幻想に惑わされて…」以降がツイートとずれてしまっています。おそらく自分の考えや行動を否定されたように感じてしまったゆえの反応だと思います。私が「完全な安心」という幻想は、と書けばよかったのだなと反省しました。結局、「より安全な社会」は「絶対安全」などという宗教的理念を振りかざすのではなく、自らもリスクを常に実感しながら模索しつつ作り上げていくものだという私がツイートで書きたかったことと同じ方向を向いている人が過剰に反発するという不本意なこととなってしまいました。もちろん、先人がリスクを軽減してきた部分を否定する内容をツイートに書いたつもりはありませんでした。(まあ新たなリスクも生んできたのですがね)

発する側にも受け取る側にも言葉への配慮が必要なのだな、というのが今回の結論。またまた「当たり前のこと」ですが…

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ツイート集2012年1月

2日
若さをうらやむ新年のツイートに対する返信
若さなど羨むものではありません。体力しかないのが若さです。それはそれでよいことですが、しなやかな年のとり方は可能性を広げるものです。歳のとりかたを間違えるから思考が固まり価値観も腐っていくのです。若さを良しとする愚かしい風潮に騙されぬように。

(コメント)なぜ成熟に意味を見出さず,若さを求める傾向が強いのだろう。日本社会自体が成熟を要求している時代だというのに。若い力も大切だが、成熟した大人の存在も重要だと思う。

去年、衝撃を受けた本の一つ、「自己変革するDNA」みすず書房。DNAも一世代で変化する。昔の自分の直観が妄想ではなかったことを、科学が説明していくこの時代を見ていると、経済学も含め、かなり、一つの方向へ向かっていく可能性も感じる。現実生活レベルにはすぐには反映されないにせよ。

(コメント)一部の生物だと獲得形質が遺伝することもありうるらしい。つまり生きているうちに獲得した性質が次の世代に継承されるということ。これはすごい。一卵性双生児は同じ遺伝子を持って生まれてくるが、年を重ねると遺伝子に違いが見られるのだそうだ。

3日
やっぱり革命しなきゃなあ。誰かの首を落とすような革命じゃ、駄目だけど。

(コメント)いまだに革命志向が消えない。「革命」という概念とは異なるのかもしれないが、膠着してしまっている序列構造が同時に複数の領域でひっくり返ることをイメージしている。革命の主体はヒステリックな暴徒ではなく、暇だから革命する?みたいなヒロイックじゃない人たち。退屈するよりはデモしておくか、というムードを作りながらソーシャルメディアを通じてだんだんムーブメントを広げていく。実はそこには深い思考があるのだが、それは表には現れない。「悪いんだけど君たち消えてくれない」と言う言葉を突き付けるときには、いわゆる権威者が断れない状況が出来上がってしまっているように、実はきちんと計算されているのだ。あほな初夢。

4日
私は池上彰的な存在(無知な大人のための子どもニュース)を必要としてしまうようになった、あるいはその傾向を助長しつつある現代にこそ、問題があると思うのだが、もはや逆行不能な事態であるからには、せめてその程度のことは知っておこうと思える人間を増やすことにまずは貢献しようと思う。

(コメント)これはまったく池上さんを否定していないのだが、なぜか逆上したリプライが多かった。あなたのような短絡的な思考なき大人が育ってしまう環境を批判しているのですと言いたかったが、控えておいた。時間は大切だ。

6日
「先生は世間をどの程度信用なさっていますか?私は高2で田舎に住んでおり社会のことなどはまだわかりません。日本は大丈夫ですか?」へのリプライ
何をもって大丈夫というかだな。しかし、他人を信用しないと自分がせこい人間になってしまうから信用しておこう。裏切られても失うものもないだろう。
 
(コメント)人への信頼はどれほど裏切られ続けても持ち続けたいものです。
「耳当たりの良い言葉に乗せられるな、と先生に習いました。耳当たりのいい言葉って?」という10年以上前の生徒へのリプライ
耳当たりのよい言葉とは、自分が本当は気付いているのにそれを気付かないことにする自己正当化を助長する言葉。政治は避けて、たとえば受験だと単語は覚えなくてもなんとかなるよ、とか。無駄な努力はするな、とか。
これに続けて
因みに、「耳当たりがいいだけの」は英語では、ear candyと言う表現もある。CANDYあたえられて、喜んでいるようじゃね、おっと、政治の話への延長は避けておこう。

8日
とても冷静で、シニカルな受験生のノートの20ページくらい先の白紙に、「たかが自分、されど自分」とページ一杯に大きく落書きしておいたら、今日発見して、珍しく感情を表に出して、嬉しそうに「人のノートに落書きしないでください」と言ってた。感情の発露よし。

(コメント)「たかが自分、されど自分」というのはおそらくその時の彼には響いたのだろう。しかしびっくりしたろうな、突如そんな落書きが現れると。

9日
ツイッターでの議論を進めようという人へのリプライ
議論による意思形成が不可能なのが、今のツイッターの本質だと思います。
議論はそれを行うことによって現在の自分の考えとは異なる結論に達するものだという合意の上でなされるのだが、ツイッターはそのような合意をもたないことを、本質としているということです。

(コメント)この直後に東浩紀の「一般意思2・0」が出回り始め、熟議の合意によらないツイッター上での多数者の意志の再形成の可能性について読んで納得した。

10日
成人の日。着物は立ち居振る舞い、動きを制約する要素があり、そこに収まらない自由な動きは見苦しく、制約に準じてこそ美しい全体が浮かび上がる。部分にこだわる習慣、制約のないことがよいという考え方、から脱して成人になるには和服は素晴らしい。しかし街行く着物姿たちは…

(コメント)小笠原流礼法を学べと言いたいが、少なくとも和服の動きの練習くらいはしておいてほしいなあ。大人になるのだから。このツイートに「神奈川の成人式に出席したのですが着物が膝の上までで網タイツにブーツという姿もありました…!」というリプライもあった。それはそれで新しいファッションなのかもしれないが…

11日
誕生日だ。49才。20才の頃は50前後の自分など想像もしなかった。生きているとも思ってなかったし。なかなかに人生は思うようにいかず、だからこそ楽しめる。「四十歳までにやるべきこと」なんて、人生を夏休みの宿題のノルマみたいに扱いたがるヤツの気がしれん。吠える49歳!

13日
明日センター試験を受ける受講生へ。頭がパニクりそうになったら、鉛筆を一度手放して机におこう。両手をそっと組んでニコッと笑える映像を頭に浮かべよう。Smile!そうして、指をそらしてから再び鉛筆をもとう。脱力、リラックスとスマイルが大切なのさ。歯を食いしばらぬようにね。

16日
センター試験に失敗した生徒に言った。「反省するな。そんなもの別の形の言い訳に過ぎない。反省を口にするやつほど同じ失敗を繰り返すものだ。変えられない現実は受け止めなければ次に進めない。で、今から何やる?」大学に合格しても3日もたてば過去のことだ。そんなところに止まってちゃダメだぜ。

17日
正当な主張を携えているとしても、戦い方を知らぬが故に、戦う度に敵方にエールを送り続けることになるという構図は見るも痛ましい。行動を有効にし得る知性を持つべし。

(コメント)いろいろな所で見られる構図です。深く考えるという習慣、自分の言動の結果を予測する想像力が欠けているのが問題なのでしょう。

19日
生徒が質問に来た。前置きもなく、唐突に思いつめた顔で質問した。「ぼく、どうしたらいいですか?」何を言っているか本人もわかってないらしい。答えようもないので、こう言った。「強く生きろ」 すると… 彼は「わかりました。ありがとうございました。」と言って去って行った。意味不明⁇

(コメント)今だによくわからないのだが、多分適切な反応だったのだろうと思う。

25日
主に、受験生へ。自らに麻酔を打って偽りの安心感を買おうとするな。自由な者は不安なのだ。不安で遊べ。It’s fun(ふぁん)!

(コメント)不安を解消しようとするよりも不安と同居し、変化の可能性を肯定的にとらえるほうがうまくいくものなのです。

ツイート集2011年12月

3日
風呂でお湯に浸かって手のひらを下に向けて腕を前にのばして沈める。力を抜くと浮力で腕が水面まで上がってくる、空中に持ち上げて力を抜くとお湯に落下する。また沈めると浮力で腕が水面まで上がってくる、その上がってくるときの感覚が楽しい。そろそろ、講演会いかなきゃ。

(コメント)講演会当日の朝、こんなことしていました。

4日
言動激しく夢想家なのに設計図の筆致が均一的な筆圧の黒川紀章、その建築の中に入ると優しさを感じる。他方、強い意思力でせまる不均等な筆圧の安藤忠雄、好みはわかれるところだが黒川に惹かれる私は銀座のカプセルタワーを見に行った。

(コメント)メタボリズム展に行った日のツイートです。

8日
次のコメントへのリプライ
先日の講演ありがとうございました。力を抜き、一度すべてを受け入れることでいつもより笑顔が増えました。不器用ながら、感じ、考える生活を送っていきたいと思います。
今の時代、笑顔は最大の武器となりうる。何も戦わなくてもいいのだけどね。SMILE! 

(コメント)東京にいるとなんだか笑顔に出くわすことが少ない気がする。.

10日
「鳥は星型の庭に降りる」武満徹、オールソップ指揮。今ようやく鳥(オーボエ)が星型の庭に降りるというのが体感できた。小沢さんの西洋的指揮だと星型の庭はかっちりしているのだけど、鷲がバサッと舞い降りてしまう。雅楽の音階がベースになって生まれる繊細さに日本の庭の映像が浮かぶ視覚的音楽。

(コメント)視覚的な音楽というのは確かに存在する。逆にカンディンスキーの絵は音楽そのものだが。

16日
ボランティアをやってる学生が、友人に、お前のしてることは自己満にすぎないと言われた、と言うので、自己満足こそ大切だと教えた。対象が少なくても他人が喜ぶことをして満足が得られるなら最高!他者批判で自己満足を得ようとする姿勢こそ批判されるべきものだ。彼は安心して帰って行った。めでたし。

今のツイッターのやり取りで昔の生徒との会話を思い出した。合格報告に来た生徒が「先生、生き方間違えてます」「へー?」「先生は予備校にいちゃダメです」「君の合格は?」彼は熱く語り、それを聞いた私は「間違えちゃったなあ。で、間違えてちゃダメかな?」と言ってそのまま飲みに連れていったことがあった。

(コメント)たぶん生き方を間違えているのだろうなあ。しかし正解じゃなくてもいいんじゃないかな。これはこれで楽しいし。

19日
忘年会っすか?私は酒を飲んで騒いで嫌なことを忘れよう、なんざ、せこい料簡で生きていないんで遠慮します。大体、酒に失礼です。私は、失敗もいやなこともきちんと昇華して生きてまいります。えっ、ただの年末の飲み会、っていうことですか?ならば、喜んで… とか言っていると友達が減る…それもよし。

(コメント)飲む前に酔っているようなやつだ。しかしどうも飲みでつるむというのは気に食わない。素面できちんと人と話せない人もいるのは残念だし、。酔って、くだらぬ本音とやらをダラダラ話して共感を求めるやつには、腐った本音を垂れ流すのではなく、きちんと建前を構築しろと言いたい。理想を描く建前から本音を作り直せ、と。しかし酒の席ではそうも言えない。

25日
受験生には知識を整理しろというが、目的が限定的でないならば整理整頓などしないほうがいい。整理術などセコイものを学ぶな。様々な本のページを開きっ放しで散らかしておくと思わぬアイデアが浮かぶことも多い。年末、部屋がカオスと化しているのを自己正当化するカオスおとこ。たまには整理も必要か?

いや、理性が思考を妨げるのと同様に、整理整頓は思考の流れを遮断する。年末、カオスの部屋でよし!カオスで新年を迎えよう。

(コメント)部屋を整理するのと知識を整理するのはちがうよね。しかし、いろいろな本を部屋中に広げてぼんやり眺めているとふと思いつくことがあったりして楽しいとはいえる。建築の本と楽譜と哲学書と鳥の写真集とファッションデザイナーの写真集を同時に眺めているうちにがふとつながったりすると妙な快感が生じる。

30日
今年最後の講義で、別に大学に落ちても死ぬわけじゃない、と言ったら変な顔をされた。何かをしてはいけないとか、どうかなったらいけないとか、思いすぎると往々にして、その穴に落ちるものである。やってダメならば引き返せばいい。もう戻れないと思い込んでいても意外にリセットできるものだ。

(コメント)恐れや緊張が失敗の原因になることは多い。ケアレスミスをしてはいけない、と過剰に意識するとむしろケアレスミスは増えるものなのだ。大げさに構えてストレスを大きくすると力が発揮できなくなることが多い。

31日
昔のファッション通信をまとめて見ていて山口小夜子ストーリーに感動。感受されたものが、彼女の身体を通して現前し、内化されたものを表現する手段が生成されていく。最後のアクティビティ蒙古斑革命、今の自分に共鳴する。

(コメント)和服を前後逆に着てみた山口さんは美しかった。あとはアレクサンダーマックイーンの追悼は何度も見た。写真集もすべて買った。彼の自殺はショックだった。ひとつの時代が突如ぶち切られたような…

ツイート集2011年11月

1日
個人にとって時間は均質に流れているわけではない。今が大切というときにそれを見逃してしまうと、あとで同じことができるにしても、数倍の時間と努力が必要になる。社会に対してであれ、自己に対してであれ、今だ、と思ったら他のあらゆることを犠牲にしてでも今せねばならぬのだろう。今だ、と思えれば…

(コメント)ものにはタイミングがあり、それを逃すとなかなか実行できないものなのです。

3日
今日は所用で東京にいるのだが、住宅街を歩いていると、「犬の一人歩きはいけません」という看板があった。趣旨は通じるのだけどなんだかおかしかった。看板を読んだ一人歩きの犬が「一人歩きは行かんのか」と納得して家に帰っていく映像が浮かんでしばらく笑い続けていた。

(コメント)時々ふと見かけるこういう看板が笑える。「危険!暴力団事務所あり」という大きい看板も妙に笑えた。

4日
今日は鈴木悠平君とその友人と食事。食事後、彼がコンビニで財布を無くした。大慌てしたが、結局届けてくれた人がいて無事一件落着。結局は人の善意を感じられてよりよい日となった。彼がなくしたお金は一緒にいた彼の友人にそっと渡していたのだが、出てきたので「人のために使え」ということにした。日本!

(コメント)「日本」っていうのが唐突だが、そういう気持ちだったのだろう。そのあとの誰かへのリプライでこう言っている。やっぱりこの国を何とか守りたいと思う。非力ながら…こんなことアメリカじゃなかなか起こり得ないよ。

6日
変化していく時代の中で安定するには、自ら変化するしかない。変化できる力を持つしかないのだ。流動的であろうとする力はとても大切だ。

(コメント)これに対してどうすれば変化できますか、と聞いてきたのでリプライ
それは人に聞くことではない。その行為自体が変化を拒んでいるともいえる。

(コメント)今考えると不親切だったかもしれない。しかし自分で考えるべき問題は自分で考えるしかないのだ。

7日
遊びとは「好きなことをやること」と辞書に書いてあったと記憶している。もっと遊ぼう。「好きなこと」の質を高めるためにも。

(コメント)あなたは遊び過ぎです。

12日
がんばれ、といってうなづくのはいつも既に頑張っている人。難しい問題だ。

(コメント)メッセージは常に伝えたい人には伝わらない。

13日
なんとTVドラマを見た。昔懐かし妖怪人間ベム。小世界に籠らず(籠ることを許されず)外部と恐る恐るつながっていく妖怪と、世界に自分の居場所がないと思いこむ人間と、居場所があるはずなのに外部に引きずりだされる人間が、一時的コミュニケートを通じて変化の兆しを見せていく。極めて現代的だ。

(コメント)これは居場所についてのドラマだった。世の中に居場所がないと思い、乾いてしまっている人が内面を解放するきっかけを与えられて暴発して犯罪に走る。人間世界からはみ出してしまっていながらも人間世界の中に居場所を求めようとする妖怪人間と彼らの遭遇。そこに人間的つながりが生まれる。

また、しっかりと居場所を確保しているはずの人は妖怪人間と接触することで自らの居場所に安住し続けられなくなっていく。だれにとっても安住できる居場所はない。しかしそれぞれの渇望はそれぞれ変化しながら互いに補い合うことが可能なのかもしれない、ということを暗示するドラマだった。子どもの頃に見た「妖怪人間ベム」は初めのシーンしか覚えていないが、多分こういう話ではなかったと思う。極めて現代的なテーマと向き合ったドラマだと思った。

13日
すべてを相対化するのは明らかに間違っていると思うが、もはや絶対を求めるよりは複数のアイデンティティを持てるようにするほうが生きやすいのではないか。

(コメント)複数のコミュニティへの帰属、複数のアイデンティティーは今の時代に必要となるのではないかと思う。どこにも帰属しない、というありかたは格好いいが、実際にはかなり少数派の力ある人に成しえないことだと思う。

14日
昨日見た「妖怪人間ベム」が頭に残り、人の顔を見ながら、この人が今、叫びながら妖怪人間に変身したらその現実とその妖怪を私は受け入れるだろうか、拒否して殺そうとするだろうか、と考えていると、ひょっとして自分が変身しちゃうんじゃないか、と不安になってきた。やっぱりテレビはいかんなあ。

(コメント)かなり妖怪人間が強烈だったようだ。

14日
大切な人のことを大切だと実感する瞬間、それを自覚しない時間の幸せがわかる。実感したから幸せじゃなくなるわけじゃないけどね。

(コメント)幸せなやつだ。

16日
「オタクをばかにするな」というコメントが突如とどいてリプライ

「馬鹿に」「する」という行為は、対象が「馬鹿」でないことを前提とする。一般的なことをつぶやいてみた。

(コメント)あとで見てみるとこの人は「オタクをバカにするな」というメッセージをたくさんの人に送っていた。それに返答している人はなかった。しかしこの会話は意外な進行をすることとなる。

彼「僕はばかじゃない」
私「じゃあオタクの殻を少し破ってみよう」
彼「どうやって」
私「宇野常寛の「ゼロ年代の想像力」を読んでごらん。最早閉じこもることはできないのだとわかると思うよ。」
ここで驚きの反応
彼「わかった。\(+×+)/ ありがとう~☆」
これでなんだか私も笑顔になってしまった。
私「 「ありがとう~」と素直に言われてとてもうれしかった。こちらこそありがとう。頑張って本読んでみてね。エバのこととか取り上げて時代分析している本だしね。」

20日
名古屋に向かう新幹線。富士山が美しい。何故だかはっきりわからないが、富士山は特別な山だと感じる。

21日
仕事中、窓から見える木をリスが走り回っている。木の実を集めて埋めているようだ。その場所わすれないようにね。

22日
伝えたいのに伝える言葉がないのか、言葉は溢れるが伝える内容がないのか。しかし、それ以前に世界が伝えてくることを全身で受け取っているのかが大切だ。思考は対象と向きあいその声を聴きとることから始まる。対人関係においても、言葉を発さないでも気持ちよく場を共有できることが言葉に先行する。

26日
人を手段として扱ってはいけない。そんな当たり前のことに気付かなくなる鈍感さは、余裕のなさから生じるのか?現代社会の中で市場原理主義はそれを正当化してみせるが…「合理的な愚か者」が多過ぎる。

27日
理性的すぎてむしろ思考が活性化していない人へのリプライ
理性と思考は対立するものであり、君はときに理性にからめとられながら思考しようとするから、無理が生じる。からだが思考、生成と流動を命じるときには、理性という禁止命令を同居させてはいけない。

(コメント)理性はしばしばブレーキの働きをする。思考は常に動的なものだ。だから時として対立が生じるのだが、場合によっては理性を保留して思考のダイナミズムを優先したほうがよいのだろう。もちろん理性を失うととても危険なことになるのだが…

ツイート集2011年10月

2日
今年は栗が当たり年のようでどんどん落ちてくる。夜はうるさいくらい。いつか散歩の途中頭に直撃してめちゃめちゃ痛かった。火花が散った。今日は帽子をかぶって散歩しよう。

(コメント)しかもその栗はあたまに刺さってしまって取ろうとしたら手にとげが刺さり、仕方がないからそのまま、栗を頭に指したまま散歩した。帰ってから栗をとったらえらく血が出ていた。間抜けな散歩姿だ。

初志貫徹にはgrit(根性)こそが最重要。"Grit:perseverance and passion for long term goals" (ダックワース他) 当たり前のことも研究者に提示されると説得力がある。半端な賢さは常にマイナスになるもののようだ。

さらにmindsetも紹介したあと、
実際に成績のいい子のほうが、難問に立ち向かって耐えられる時間が短く、かつ、次に同レベルの問題に直面しても成績の向上はなかったが、努力を誉められた子どもは粘り強く立ち向かい、次に同レベルの問題には成績が向上したという。(ドゥエック:Mindset) 

3日
オクスフォードに留学した卒業生からメール。日本人以外の院生の留学生の英語力の高さに圧倒された。日本人の国際感覚の欠如。Phdへの道の険しさを実感。今年クリアーできないと次がないという不安の中で一瞬一瞬自分が試されていく。社会性ある彼が周囲との夕食も新歓も断りすべて勉強に費やす。そのことが新たな自分を形成すると信じつつ不安の中でひたすらに机に向かう。様々な学生と話し込むチャンスを惜しいと思いつつも今は目の前のことだけにすべてを賭ける。息抜きもままならぬままひたすら走る。大学受験生たちにはこのような覚悟がないと思う。平気で5分、30分を無駄にする。

(コメント)真面目すぎる返信に対するリプライ
「真面目すぎる宇宙飛行士は事故を起こしやすい。ギリギリの人にはリラックスの仕方を教え、緩んだ人には締めろと言うのだが、緩んだやつほど更に緩めようとする。」
心のありかたをどうセットするかが効率に直接的にかかわるのです。

5日
ニーチェにはまりながらも論語を暗唱していた中学時代、「大人になればわかる」というセリフに強烈な欺瞞を感じて激怒していたが、今ならわかる。確かに大人にならなきゃわからないことはある。人の言葉が理解できないのは自分が未熟なせいであり、今頑張っても理解できず、成熟を待つより他ない。

(コメント)共感してくれた人へのリプライ
子どものときに聴いていた言葉や音楽やなじんでいたはずの絵が突然違うものに思える瞬間は楽しい。向こうから勝手に来てくれる瞬間。しかし閉ざしてしまう者にはこういう瞬間は訪れないのかもしれない。

6日
ショウリョウバッタが牛に向かってキチキチいって突っ掛かっていっても牛はモウーと知らん顔。牛えらし。勿論 行動を選択しているわけではないが…

8日
「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」(マルティン・ニーメラー)は今また話題にするべき時かもしれない。When they came for me, and there was no one left to speak out for me.で終わる詩。今、黙っていることは…

(コメント)この説教は非常に有名でいくつかの訳バージョンがありますが、ナチスの行いに対して異議を感じながらも黙って見ていたら、自分たちが攻撃される段階になったが、その時にはもはやどうしようもなくなっていた、というような内容です。行動すべき時に行動を、異議を唱えるべき時に異議を唱えなければ、いよいよ危機がわが身に迫ったことに気づく時では手遅れなのだ、というのは今の日本に当てはまるのではないかと思う。

9日
震災で倒れたのではなく既に倒れていたことを震災によって気付かされたのだというのに、まだ自分の周囲が倒れていることに気付かぬ人や既に倒れていた状態への執着を叫ぶものさえ多い。ちょっと焦る。

(コメント)先のツイートへのリプライへの返信です。私は現在、価値観の転換期にあるという認識です。それは震災が起きたからではなくそういう時期に震災が来てはっきりと目に見える形で実感されたはずだと思うのですが、まだ、震災前の状況への回帰を目指して「復興」「経済再生」を唱える人が多いようです。

10日
J.S,ミル「満足した豚よりは、満足しない人間である方がよい。満足した馬鹿より、満足しないソクラテスである方がよい」 ジョブズが亡くなってからstay hungry, stay foolishという言葉について考えている。stay以前にそもそもhungryを失っていないかどうか。

(コメント)飽食への反省を述べたリプライへのリプライ
しかし反省するのは、反省する自己の正当化になりはてることも多い。反省する、という言葉の持つ甘美な誘惑はあるが、「反省した」と頻繁に言う奴ほど同じ失敗を繰り返す傾向がある。

子どもの体力テスト、普段運動しているか否かで大きな格差。どの分野でも、そもそもの素質よりは普段からの積み重ねが差を生むのだなあ。体力のない子どもたちには不安を感じる。言語力のない学生にも。普段からどういう会話をしているかが大きな格差を生むのだろう。そういえば、大人も…

(コメント)
日々の言語や生活態度が自己を形成していくのだということです。概念によって自己形成などできるものではありません。日々の生活態度が大切、毎日背筋を伸ばして生活しよう。

言葉は発話者と受話者の関係が大切。ジョブズの言葉もほとんどすべては先人の言葉(例えばガンジー「明日死ぬかのように生きろ、永遠に生きるかのように学べ」)に言いつくされているのだが、彼が言うと今の人には響く。そもそも受話者が無知なのかもしれぬが、発言者の存在が普通の言葉に力を与える。

15日
うちのあたりでは、「赤い羽根共同募金」は町内会(隣組といいます)で徴収し、募金額も1人千円と決まっています。どうも不思議なのだけど自分が班長さんになって集めるときもあるので、「御苦労さま」と千円払います。みなそうです。何かがおかしいと思うのですが、田舎では黙っているのです。

(コメント)田舎と都会についてのリプライへのリプライ
しかし田舎の壁は厚い。引っ越してきてこの地で子ども育てた35年定住者が移住組と言われていまだに差別されるのが軽井沢という田舎なのです。私など移住20年弱では引っ越して来たばかりの癖に、と言われます。

19日
あらゆる受動性を失った思考はしなやかさを失い硬化し やがては我執と化す。自らに水分を与えてくれるものを拒んではいけない。勿論自ら水分を与えることも。しなやかな思考へ。

20日
アリの生態。空中で交尾する蟻は空中には捕食者がいるのでできるかぎり空中にいる時間を減らしたい。そこで、メスはオスが交尾器をつなぐといきなりオスの腹を噛みきって地上に降りる。それで生殖は危険を最小にして成功する。挿入した途端に腹を噛み切られるのはやや困る。

カマキリのオスは交尾中頭を食われることもあるし、アンコウのオスはメスのからだの部品化している。長谷川真理子さんの本にはそういう例が多く出ている。あるハエは精子とともにメスの体に毒を送る、死が近くなったメスは産卵に全力をあげる。

しかしやっぱりすごいのはアメイロアリ。敵陣に入る時に敵の頭を食いちぎってその頭の部分が前に向くようにくわえて仲間にみせかけて敵陣に侵入する。この仮面戦略の映像見てみたいなあ。見られるHPなど知っていれば教えてください。

「働かないアリに意義がある」や「生物学的文明論」(本川達雄)も面白いよ。そこから利他、共生に向かうとさらに現代社会に迫れる。

(コメント)動物のことを話し出すと止まらなくなる。読むべき書物は自然なり。

28日
「このひどい時代の最中、どこに目を向けて良いのかわからなくなっています。」へのリプライ
自分で考えるべき問題は自分で考えるしかない。 私も自分に自信なんかないよ。でも戦わなきゃいけないこともある。自信がついてから、なんて思っていたら一生何もできない。「明日は少しはマシになれる」ことへの自信があればそれで戦えるのさ。

(コメント)「いつか力をつけてから」と学生はよく言う。それが正しいこともあるが、それを待っていることが行動しないことへの免罪符となっていることもある。考えてから走るより、走りながら考えるほうが楽しいはずだ。
プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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