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英語を身につけるには、まずは楽しめることから

人が英語を勉強しようとする動機は、試験で必要だから、とか、仕事で必要だから、とか、日本人以外の人と交流したいから、といったように様々でしょう。しかし、英語学習を目的達成の手段として完全に割り切ってしまうと、学習能率そのものの低下を引き起こすことになりかねません。どのような人間の活動に対しても言えることだと思いますが、その活動そのものに喜びを見出すことができないかぎり、能率を上げることは難しくなるのです。始めるときの動機はどうであれ、今なぜ 英語の勉強をしているのか、と問われたときに、楽しいから、と答えられるようになるとしめたものです。

さて、いざ学習を始めようと思ったら、まずは現在の自分の状態を確認することが重要です。まったくのゼロからなのか、中学レベルの知識は身についているのか、高校の教科書レベルは習得しているのか、といったようなことに加えて英語以外の知識や言語理解能力(国語力)といったことも、自分なりに判断してみることです。そして、できれば、暫定的な目標設定もしておきたいものです。

私は大学受験生に英語を教えることのプロフェッショナルですから、受講生とある一定時間1対1で面談すると、段階的に何をしていけばよいのか、かなり明確に示すことができます。偏差値でいうと40レベルの生徒を1年間で60くらいのレベルにまで、引き上げるのに必要なことは決まっています。こちらが提示したことを身につければ十分なのです。(どうやって身につけるかが具体的な学習法となりますが、これは今後ということで。)

1対1の面談と書いたのは、その学生の国語力や姿勢を知る必要があるからです。英語以外の部分でつまづいて、英語学習が進まないということはよくあることですし、学習習慣がそもそもない場合には、学習習慣を身につけることから始めなければいけなくなります。また、何かを学ぶ際には、学ぶ姿勢というのはとても大切です。学生が学ぶ姿勢を身につけていないためにせっかくの情報が伝わらないということもよく経験します。さらには、国語力(言語理解力、あるいは共感能力)はある一定レベル以上の英語力を身につけようとする場合には必要不可欠な要素となります。何であれ、あることを身につけようとする場合には、そのことと関わる他の要素、さらにはそのことを部分とする全体を視野に入れることが必要になるのです。

英語学習法については、ダイエット法と同様にさまざまな方法が提示され、過大な広告も頻繁に見かけます。多くの人がスリムなからだや流暢な英語にあこがれながらも、努力の割に成果が小さい(と思われる)ことが両者の共通点として考えられます。もちろん英語習得については、「これを飲むだけで英語がペラペラになる」といったサプリやお茶、「これを身につけるだけで英語が突如聞き取れるようになる」といった装身具は売られていないようですが……しかし「この方法を実践するだけで……」「聞き流すだけで……」といった教材が人気を集めているのはダイエットの広告と同様です。私は職業上、この種の教材や、ネット商材(本当にいかがわしいものが多いと知りながらも)購入してみることが多いのですが、「…だけで」英語が習得できる教材はないといえるでしょう。(わかっていても、「…だけで飛距離アップ」というゴルフ商材には誘惑されてしまいます。今でも280ヤードくらいは飛ぶし、飛ぶだけでスコアが上がるわけではない、とわかっているのですが、ついつい……バカですねえ)

なんとも、「…だけで」というのは曲者ですね。いろいろな努力をしたくないという人間の心理を見事についています。しかし、安易な「…だけで」は次なる「…だけで」に逆襲されます。

「…だけで」の逆襲
「これを飲むだけで痩せる」⇒「たとえそうだとしても、痩せるだけでモテルようになるわけではない」 
「クリックするだけで稼げる」⇒「たとえそうだとしても、金を稼ぐだけで幸せになれるわけではない」

大体において、こうした商品には成功例が並べられているのですが、情報に接する際には

「結果は手段を正当化しない」
「複数のことが同時に起こっているからといってそこに因果関係があるとは限らない」

この二つのことはしっかりと念頭においておくべきでしょう。

東大に合格した人の勉強法が他の人にとっても正当な手段となりえるのか、CO2の増加と地球温暖化は本当に因果関係があるのか、あるいはあるにせよ、CO2が温暖化の最たる原因だといえるのか、といったようなような検討は置き去りにされてしまうことが多いのです。

そう言ったからといって、「聞き流すだけで……」式の教材が無効だと言っているわけではありません。対象が中学レベルの英語は理解できる人で日常的な挨拶、用事を英語で果たすことを目標としている人や、頭の中に昔習った英語が残っているが英語を使う頻度が少ないために、文字だと理解できる英語を聞き取ることができないという人にはかなり有効でしょう。しかしもう少し進んで、英字新聞を読もうとか英語で小説を読もうとかすることが目標であれば「聞き流すだけ」では到底目標は達成されません。その場合には文法力(文法書を暗記しろというわけではありません)や語彙力、英語の論理構成への意識といったことが必要になりますし、英語でまとまった意見を述べようと思う場合には、日本語とは相当に異なる論理構成をする力が必要になります。やはり現状認識と目標設定があってからの教材選びが重要なのです。

また、「赤ちゃんが言葉を覚えるように……」という試みは基本的に見当はずれだと私は考えています。第1言語の習得と第2言語の習得は時間的に隔たりがある場合には同様の過程をたどるわけではないからです。赤ちゃんの言語習得については、またいつか書くつもりですが、臨界期(感受性期)というものがあるようです。もちろん「子どもが、限られた経験や情報から、大量の言語知識を短期間に獲得できるのはなぜか」という問題は、プラトンのころから今に至るまで確証ある解答は得られていませんが。ここでいう言語習得の臨界期とは、ある年齢まで言語に接することがなければそのあとで言語を習得することはできないという時期のことです。第2言語の習得にはどうやら物理的臨界期はなさそうだと言われています。いつからだって第2言語習得は可能だということです。よかったですねえ。そのコツはやはり、脳の活性化、つまりドキドキすること、楽しめることなのです。

一つの言語をすでに身に付けた人が第2言語を学習するというのは、そもそも脳の状態からして、言語を持っていない段階から第1言語を習得する段階とは異なっていると考えるほうが妥当でしょう。第1言語を完全に忘れて第2言語を習得し始める、ということも通常はありえないでしょうし、第1言語を身に付けた人には赤ちゃんの言語獲得とは異なる方法で、第2言語を学習するべきでしょう。その際には、第1言語を身につけていることが赤ちゃんの言語獲得にはないアドバンテージとなります。

ということで、初期条件を認識し目標を設定すること、学ぶ姿勢を身につけること、共感能力を持ち、学習そのものに喜びを見いだせるようになること、それが出発点だということです。当たり前のことですね。


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好奇心こそ学びの原点

最後に近所のおばあさんの話。

私が軽井沢に引っ越したのは長野オリンピックが開催される前年で、そのころ長野では外国人に英語でガイドができるような英会話の講習などが開かれ、英会話への関心が高まっていました。ある日、私が犬の散歩をしていると、道端でいたおばあさんが「英語できるか」と聞くので、「ちょっとくらいは」と答えるとちょっとだけ教えてくれというのです。

…それから13年くらいたった今でも、私が英語を教えているということは近所ではあまり知られていません。予備校が休みの2月に毎日、昼に犬の散歩をしていると「仕事紹介しようか」と散歩経路に住んでいるらしきおじさんに言われたこともあります……

で、おばあさんに「とりあえず、まずは挨拶ね」と言って、ハロー、ハウアーユー、ファイン、サンキュ―、といったあたりを教えました。うちのあたりでは、語尾に「だに」をつける話し方をする人も多く(「今日はいい天気だに」)、そのおばあさん「サンキュー、だに」とどうしてもダニがついてしまうのです。さらには歯がうまくそろっていないせいかファインがハインになってしまうのですね。犬が先へ行きたがるのでその日はそれで散歩にもどりました。

次の週、また、おばあさんに会ったので、こんにちはと声をかけるとハローというのですね。ダニなしで……ハウアーユーと聞くと見事にファイン!なんと入れ歯を直したそうです。妙に感動して、「なんで英語知りたいの」と聞くと、「外人さんと話せたらそりゃあ楽しいはずダ二」と言われました。そして、「知らなかった言葉を覚えるとちょっとうれしいダニ」とも。

これだな、と思いました。おばあさんエライ! そのことが役に立つかどうか、意味を持ちうるかどうか、より、そのこと自体を楽しめるということが原点であると思います。これまた当たり前のことですが……
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はじめまして、西きょうじです

このブログでは、とりあえず、当たり前のことを書きとどめていこうかと思っています。

よく考え、悩みぬいた結果、当たり前のことが結論であった、などということはよくあるものです。今の時代に、「そんなの常識」と言われていることが、冷静に考えてみるとおかしなことであったり、「みんなやってるし」という言葉で正当化されていることが、まったく正当なことでなかったりします。

当たり前というのももちろん相対的なものなのですが、おかあさんは子供に話しかけたほうがいいとか(話しかけない教育が実践された時期もあるのです)、人を殺してはいけないとか(特定対象を殺すように教育する集団もあります)、当たり前のことですよね。

最近では、そのようなかなり一般的に当たり前だとされていることが、忘れ去られていたり、科学が証明して初めて再認識したりすることが多いようです。おばあちゃんの知恵みたいなことが医学で証明されたり、いわゆる長老の知恵が形を変えてビジネス界で語られたりします。何をいまさら、というようなことがクローズアップされたりもします。

きっとおばあちゃんの知恵には普遍性があるのでしょう。

当たり前のことを当たり前だと受け取れる感受性は大切にしたいものだと思いますし、当たり前のことを当たり前に実践していこうとも思います。地味なテーマですが、さまざまなことについて当たり前とはなんなのか、ぼちぼち考えていきます。よろしくお付き合いください。

 
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軽井沢の自宅前で、私と愛犬(カイ)。甲斐犬でカイ、安易な名前ですね。
私は未知数 X のギリシア語読みでカイという名前をいつか使いたいと思っていたのですが、そういえば、ソフトバンクのCM犬もカイ君ですね。
プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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