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医療と教育と市場原理(1)

Twitterでもつぶやきましたが、21日に突如、強烈な腹痛に襲われました。 時々、繰り返されるごとにお腹を押さえてうずくまって堪えました。病院に行くのはあまり好きでないので、いつか収まると根拠もなく思いこみ、堪えていたのですが、夜中になりとうとううずくまっても堪えられず転げまわるようになってしまったので、家人に小諸の病院まで連れて行ってもらいました。

ようやく診察室に入り先生に症状を話します。どうやら胃潰瘍のようで、入院はしなくてすみそうです。24日から13日間連続で仕事だと伝えると、1週間は休むようにとかなり促されましたが、それは経過次第ということで薬をもらいました。

先生は夜中でも穏やかで丁寧に応対してくれました。毎日とても労働時間が長いと伺いました。大変な日常です。それでもいらいらした様子も見せないで仕事をしておられます。感謝と尊敬の念にたえません。

先日、軽井沢で医師の集まりがありましたが、その際、ある先生が「私たちは人を助けたいと思って医者をやっているのだ。病気が治って感謝されたらそれだけでがんばろうと思う。」とおっしゃっておられました。

ところが、患者さんの中には「お金を払っているのだから夜中の診療も当然だ」とか「お金を払っているのに医者に注意を受けた(それを叱られた、と受け取るらしいです)」とかいう姿勢の人も結構いるようです。「そういう時代なんですよ」と先生たちは言うのですが、どういう時代であるのかと私は考えました。

その変化が始まった時期というのを考えてみると1990年台後半にモンスターペアレントが目立って増え始めた時期とほぼ一致するのではないかと思います。モンスターペアレントについては様々な本もあり、2008年にはテレビドラマにもなったそうなので具体例はあげる必要もないでしょう。その原因も様々に挙げられていますが、私は原因の一つとして市場原理主義の蔓延を考えています。

このブログでも何度も市場原理主義を批判してきたので、またかよ、と思われるかもしれませんし、なんでも市場原理主義のせいにすると思われるかもしれません。しかし、私にはミルトン・フリードマン(アメリカに非常に大きな影響を与えた経済学者、1976年ノーベル賞)以降のネオリベラリズム(規制を極限までなくして市場原理に委ねる、フリードマン本人は大麻の規制もなくすべきと述べています)が、突き進んだ結果の弊害は、日本においてもかなり広範囲にわたっていると考えています。ホリエモンのような存在が世間を騒がせた(今も影響力があるみたいですね)という程度のことにはとどまっていないと思います。

時代を少しさかのぼると、小泉政権の頃「規制緩和」(フリードマン的アメリカが日本に要求したわけです)が一気に進み、そのころ経済界で権力を握っていたオリックスの宮内氏(ソフトバンクの孫正義氏や村上ファンドの村上氏などを後押し。村上氏の逮捕前には村上ファンドで大いに利益を上げていました)などとともに、つまり政界、財界が力を合わせて、また、メディアもそれを大きく助長しながら、医療や教育などビジネスチャンスの見込める分野を自由市場化していきました。ちなみに渡辺美樹(ワタミです)は学校経営への株式会社参入に断固反対し続けたために、規制改革・民間開放推進会議の教育・研究ワーキンググループの委員内定を取り消されています。

このような「規制緩和」によって、教育や医療に留保なく市場原理が入り込んでいってしまったのです。

その結果、患者は市場における消費者である、という意識が広がりました。市場原理からすると消費者である以上消費者の権利を主張するのは当然だということになります。もちろん、医者の側にもその意識が広がり、患者を客として扱うようになったという側面があることも否めません。医療が商品化され、サービスと金銭の交換という面のみが強調され、合理性が追求されることで患者側の敬意や感謝、医者側の時間をかけた問診、患者への労りといった医療には欠かせない要素で金銭換算されえないものがそぎ落とされていってしまったのでしょう。

さきほどの「私たちは人を助けたいと思って医者をやっているのだ。病気が治って感謝されたらそれだけでがんばろうと思う。」という気持ちは市場原理には反映されません。

この市場原理は教育にも及んでいます。 

  すみません、ここからは次回に続きます。
しばらくお待ちください。
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いつも心に太陽を

先日行った児童養護施設について話します。その施設は親が養育できなくなったあるいは親に虐待を受けていた子どもたちの施設で、下は2歳から上は高校3年生までが50人弱一緒に生活しています。このように大人数で生活するのを大舎制と言います。

最近の政策では、ユニットケア(原則的に6人を定員とする)やグループホーム(同じく原則6人、既存の住宅を使う)のほうが家庭に近い環境でケアも行きとどくということで、少人数でのケアが重視される傾向があり、前者は2004年から始まり、現在は400か所以上、後者は2000年からで現在200か所くらいあります。

大きな施設では、施設内の体罰・虐待などが問題視されることもありますが、ここではまったくありません。子どもたちはかなり自由に行動しています。以前はたばこを吸う高校生もいたようですが、自由度が増すにつれ、そういう生徒が減り、今はいないようです。2歳のこどもはおもらしをしてしまうと、自分で所定の場所に行きおむつを脱ぎ、新しいのに履き替えるそうです。ケア過剰の子供では考えられないことです。

私が会った高校生たちも学校から帰って着替えると、自分の部屋(数人で一部屋)にこもらず、みなが集まる自習室で小学生たちとともに少し時間を過ごしてからバイトに出かけて行きました。高校を卒業すると施設を出ていかなければいけないので、高校生のうちにそのお金を準備しなければならないのです。バイトは8時ごろに終わってそれから1時間以上歩いて帰ってきてから夕食となるので学校の勉強はなかなかできないようです。女子高生たちはガソリンスタンドのバイトに出かけていきました。こちらは徒歩20分くらいのところですが、慣れるまではきつい仕事だったと言ってました。私が教えている大学受験のための予備校に来ている生徒たちにはなかなかこのような環境が想像できないようですが、自分の置かれた環境に不平不満を言う前に、自分とは異なる様々な環境があること、自分がおかれている環境は自分が勝ち取ったものではなく、偶然恵まれただけなのだということを実感してほしいと思います。

板張りの大きな遊戯室では幼児たちが遊んでいます。それぞれに事情を抱えている子どもたちですが、私が遊戯室に入ると「遊ぼう」とボールを投げてきたり、「抱っこ」と抱きついてきたり、手をつないでトイレにつれていこうとしたりとても積極的にスキンシップを求めてきます。「高い高い」をしてあげたりすると満面の笑顔になります。「もう一回」「ぼくも」と大騒ぎです。大人と接する機会を欲しているようです。

自習室にもどって小学生の宿題のお手伝いです。小学校2年生の女の子が、「ハトが8わいました。5わやってきて、それから7わ飛んで行きました。今、なんばいるでしょう」という問題で悩んでいました。「5羽やって来たのは、足す、引く?」と聞くとまだ考えているので、「じゃあ、友達が二人やってきたら足す、引く」と聞くと、しばらく考えて「足す!」と答えました。そして「わかった、じゃあ5足す」と言って8+5=と式を書きました。「あれ、そのあと飛んで行ったって書いてなかったっけ」というと、ちょっと恥ずかしそうに「そうだった」と言い、ふたたび足すか引くか考えています。ちらっとこちらを見たりするのですが、知らん顔をしているとやがて「引く!」と言いました。「そうだねえ、引くだねえ」と言うととてもうれしそうに8+5-7=と式を書きました。なんとか計算を終え、答えのらんに「6ば」と書きました。これはどう教えたものか、結構難問です。「8わ、5わ、7わ」とあっても「何ば」と問われると「6ば」って書いてしまうのもわかる気がします。「算数はできたんだけどなあ、じゃあ数え方を練習しよう」「1わの次は?」「2わ、3ば、4わ、5わ、6わ、」「あ、6わだ」書き直してとてもにこにこしています。

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この子は母子家庭で母親の虐待でこの施設に入った子供です。母親に包丁を持って追いかけられた記憶が鮮明に残っていて自分でもその光景を語ることがあると聞きました。福祉の人に連れられて母親が訪ねてきても「絶対会いたくない」と泣き出してしまうらしいです。子供のときの記憶は鮮明に残るようで、昔の生徒で今も連絡を取り合っている人が言うには、「自分の父親は、大切に飼っていたアヒルを、父親(祖父ですね)に殺され酒の肴にされたときのショックのことをいまだに口にする」そうです。地震・津波の被害にあった子供たちがその映像を忘れることはないのでしょう。

宿題が終わったら「待ってて」と走って行き(ここでは子供はみんな走って移動しています)「教えてくれたお礼」といってチョコレートをくれました。大切にとっていたチョコレートだそうです。

幼児はお風呂の時間で保母さんたちは「~ちゃん、お風呂」「~ちゃーん、どこにいるの?」「~ちゃん、まだ髪乾いてない」とドライヤーを持って走り回っています。本当に大変です。毎日この大変な仕事をこなす保母さんたちには尊敬の念を覚えます。

この騒々しさの中では勉強も大変だろうと思って、中学生に聞くと「平気だよ。夕食のときはもっとすごいよ」と答えます。

集団生活のよしあしはあると思いますが、私はこの施設でいろいろな年齢の子供たちが集団で生活していくことの長所を感じました。もちろんプライバシーの問題などもあります。各部屋には「ノックしてから入ってください」「10号室以外の人は立ち入り禁止」などとと書かれていました(数人で一部屋です)。そういう点は問題となりうるのかもしれませんが、それ以上に「みなで生きていく」「いろいろな者が同居している」ことから子供たちが何を学んでいるのかを実感しました。もちろん些細な喧嘩や言いあいはありますが、それも共同生活ならではの解決がなされていきます。

夕食時に私が帰ることにすると、「バイバイ、また来てね」と多くの子供たちが言ってくれました。走ってきて握手してくれる子もいました。また 来ないわけにはいかないですよね。

私が子供のころは、小学校2年生のときに5年生、6年生のお兄さんたちに混ぜて遊んでもらっていました。お兄さんたちには足手まといだっただろうによく世話をしてもらった覚えがあります。今でもお兄さんたちの名前を覚えています。逆に自分が世話をしていた相手のことはあまり記憶に残っていません。不思議なものです。

古き日本の共同体はどうであったか、子供は村全体で育てるものという合意がいきわたっていた時代はどうであったかと思いました。もちろん回顧主義に陥ったり、昔は良かった、などといったりするつもりはありません。その時代なりの劣悪な環境もあったでしょう。昔に戻ろうとしても何の意味もありません。また、そういう合意に基づく北欧の社会モデルを、ただ模倣すればよい、というものではありません。が、今後の社会モデルを考える参考にはなると思います。今、避難所でも子供たちが皆の役に立とうとして自分にできる活動をしていると聞きます。

人工的にカテゴライズされたボーダーを越えることが成長には必要なのかもしれません。

いろいろな人がいて共同体が形成されている、いろいろな人とともに生きる中で人は成長していく。当たり前のことですね

とても空が青い一日でした。
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地震が続く中で(2)

昨日、書ききれなかったことを書き足します。今私たちは自らの価値観を考え直すチャンスなのだということです。日本人が集団としてすばらしい道徳観をもっていることは昨日述べました。もちろん被災地での盗難や暴行といった残念な例外もありますが・・・

今、自分にできることを考えてできることを責任をもって行動する。これも昨日書きました。当たり前のことですね。

世間では、過剰な責任感やヒロイズムを抱いたり、現場にいないものが現場にいないことで自責の念を抱いたり、あるいは行動しない人を非難したり、「不謹慎」という言葉で周囲の人の言動を規制しようとするものさえあります。たとえば感情にかられてボランティアに行って結果的に被災者に迷惑をかけてしまう。これらは一時的な情動に過ぎません。「いま、ここ」にいる偶然性を受け入れ、そこから何ができるかを冷静に長期的視野をもって模索していこう。

ここまでが昨日書いたことです。本当に当たり前のことばかりです。
そして集団的価値観形成へと昨日書いた部分について書き足します。

多くの立派な人々や企業が今、自分たちにできることをする、として被災者の救援や募金活動を行なっています。とてもすばらしいことです。しかし、ある一部の責任ある立場にいる人たちにはさらに考えていただきたいのです。幸い日常生活が破壊されなかった人は、日常をかみしめながらきちんと冷静に生活していく、だけではなく、そもそもその日常がどういう基盤の上に成り立っているのか、今、根本から考え直すべきことがあるのではないか、ということです。

たとえば東京は電力を東北地方に頼っています。昔「東京に原発を」という広瀬隆さんのベストセラーがありました。(昨日もテレビで広瀬隆さんが原発の危険性について語っておられました。)

「原発を東京に」は私が大学に入学したころの本です。広瀬さんの文体はやや断定調で、扇情的なので私には受け入れにくいのですが、彼の主張の一部には大いに共感しました。

リスクを地方におしつけることが政治という枠組みの中では正当化される、そしてリスクはゼロにはなりえない、そしてその基盤の上に東京の、日本の経済が成り立っているのだ、ということです。

自責の念を持てというつもりはありませんが、少なくとも今回の原発事故については、東京に住むものには加害者としての責任が伴うものと自覚してもよいかとは思います。(東京都の知事たるものが「天罰」というのは見当はずれも甚だしい・・・しつこいですね) 東京にいる自分が多数派である自覚と、多数派という力によって少数派に危険を押しつけているという自覚は必要かと思います。

そんなことはわかっているが仕方がない、自分たちにはどうしようもないことだ、と開き直る反応が予想されます。しかし、「仕方がない」「どうしようもない」という現状肯定の上に、自己利益のために他者を犠牲にすることは正当化できるのでしょうか?
そして本当に「どう」しようもないのでしょうか?

じゃあ、どうするのか、と問われても私に答えはありません。ただ今まで考えようとしてこなかったが実は知っているはずの当たり前のことを考えることは必要だと思うのです。即、行動にはつながり得ないにせよ、今一度原点に返って自分の立脚点を見直すことが必要だと思うのです。見て見ぬふりをするほうが楽ですし、自分にはどうしようもないことと割り切るほうが仕事はうまくいくでしょう。しかし居心地が悪くてもその居心地の悪さは解消してしまってはいけないのではないでしょうか

話を変えます。今、自動車事故で年間4000人あまりの人が命を失っています。2002年までは40年間以上毎年8000人以上の人命が失われてきました。事態は改善されてきているとはいえ、おそらく今年も3000人以上の命が失われることでしょう。自動車が禁止されればこの死者数はゼロになります。あるいは制限速度を極度に下げれば死者は相当数減ります。それがわかっていてもそうしないのは、不特定な3000の命は自動車による経済的利益よりも軽い、3000人の命は他の多くの人の生活を楽にするための必要経費だ、という計算が成立していることを意味します。自動車を禁止しろといっているのではありません。それが基盤であり、それを是認した上に現在の繁栄が成立しているのだという認識(居心地の悪さ)を見失ってはいけないのではないか、と言っているだけです。

自動車と違って原発の場合は、真っ先に被害者となる可能性があるのが、東京の人間にとっては、自分も含めた不特定の人間ではなく、自分を除いた不特定の人間だということになります。電力を得るのは東京、リスクを負うのは東北、そのアンバランスは政治と経済の力によって解消されたことにしてしまっている。沖縄の基地の問題にも似た構図は見られます。もちろん世界のレベルで考えても同様です。

私が言いたいのは、経済発展という大義名分のもとでこれらが正当化されたままでいいのか、ということです。今、日本の経済復興が叫ばれていますが、違う形での経済のあり方を模索することも考えてもいいのではないかと思います。もちろん家を失った人が家を建て直すという復興は必要です。しかし、今までの、合理性の高いものが最大の利益を得るというような目先の利潤追求型のモデルから、万人にとっての利益(なんてありえないと今までの歴史は語っていますが)追求型のモデル、つまり、自分の利益が他者の利益と結び付いていることをベースに、そのつながりをより大きな領域で共有することで、他者の利益が自分の利益につながってくるようなモデル、へと変換していく道を模索できないか、ということです。

他人がニコニコすれば自分もうれしいじゃないですか、当たり前の感情です

今、日本はつながることができるチャンスだと思います。災害の中で世界が賛辞する資質を発揮できている日本人です。
また、せっかく経済成長のみが国民の幸福ではない、ということを実感する状況にいるのですから。

うまくまとめられませんでしたが、それは私の力不足です。しかし今伝えたかったことです。伝えようとしている感情を受け取ってくれる人がいれば幸いです。

地震が続く中で

 地震の余震が続き原発の危機的状況が報じられています。多くの人命が奪われ、未だに多くの人が救援を待っているという現状を目の当たりにして、ずっと、今、自分に何ができるかを考えています。自分の中で生じる感情に呼応しつつ、しかし一時的感情に押し流されることのないように、冷静に考えようとしています。

 自分がこの地震をどういうスタンスでとらえているのか。どう考えても自分だから発信できる言葉などは見つかりません。
 
 今、感じているのは、自分が日本人であるということ。そして日本人は日本人らしいと言われるに足る美徳をまだ維持していること、そしてそれを朽ちないようにしていく責任があること。

 たとえば、中国の報道では日本人を称賛しています。きちんと並ぶこと、渋滞してもクラクションをならさないこと、助け合うこと、我々からすれば当たり前のことですが、非常時に当たり前のことを当たり前に行える国民は少ないのでしょう。  記事は、「日本人はどんなに過酷な状況でも、個人は集団を離れず、集団は個人を保護する。厳しい状況でも、“個人による英雄主義”は必要ない。「皆さんと一緒に」の精神は、力を合わせて困難を克服するだけでなく、社会システムの効率を保つことにつながる」と述べ、さらに「どんな事態が生じても、日本では略奪や大パニックが生じないと言っても、大げさではない」と、締めくくっています。

 あるいはツイッターに寄せられた次のような話の数々には力づけられます。
 
『千葉の友達から。避難所でおじいさんが「これからどうなるんだろう」と漏らしたとき、横にいた高校生ぐらいの男の子が「大丈夫、大人になったら僕らが絶対元に戻します」って背中さすって言ってたらしい。』

『昨日の夜中、大学から徒歩で帰宅する道すがら、とっくに閉店したパン屋のおばちゃんが無料でパン配給していた。こんな喧噪のなかでも自分にできることを見つけて実践している人に感動。心温まった。東京もまだ捨てたもんじゃないな。』

『ホームでまちくたびれていたら、ホームレスの人達が寒いから敷けってダンボールをくれた。いつも私達は横目で流しているのに。あたたかいです。』

『4時間の道のりを歩いて帰るときに、トイレのご利用どうぞ! と書いたスケッチブックを持って、自宅のお手洗いを開放していた女性がいた。日本って、やはり世界一温かい国だよね。あれみた時は感動して泣けてきた。』

 
今自分にできることは悲しいくらいに限られています。信頼できる専門機関に義捐金を委ねること、節電などの呼び掛けに応じること。あるいは励ましとなる言葉を発信すること。自分の日常に感謝し、今できることを全うしようとすること。一時的感情による言動を抑制すること。何もできない、と嘆く前にわずかながらでもできることを模索すること。

まさしく、当たり前のことですが、意外に難しいことでもあります。首都圏では食糧や物資買占めが起こり、一部のものの物価が突発的に上昇しています。残念なことです。救援物資にも支障がでるでしょう。ボランティアに向かうという正義感も、ボランティアを募集している団体に入らない限り現地ではむしろ被災者を脅かすものにしかなりえないとはなかなか気づけない。あるいは、その正義感と行動が持続できるものか自らに問わないで行動を焦る。長期的視野で自分ができることを探りつつ、自らの行動に責任を持てるようにすること。情報収集に没頭しても無力感が増すばかりです。過剰に情報を集めようとしないことも意外に重要なのですが、不安になると必要以上に情報を求めるものです。ちょうど今、軽井沢に地震がきました。震度3くらいでしょうか?。いやかなり大きいです。

静岡で震度6強と報道されました。新たな地震かもしれません。まだまだ予断は許さぬ状況のようです。

話をもどします。今できることから希望へ。世界の多くの人たちが見守ってくれていることに感謝しつつ、日本人が持っていた、そして今なお日本人が持っている美徳を基本に,市場原理主義となってしまっている価値観を再形成すること。

市場経済を否定するつもりではありませんが、この状況を利用して自らの利益を得ようとする人たち、転売目的で物資を買い占めオークションに出すような人たちに、NOをつきつけられるような,そういう人たちを再生産してしまわないような集団的価値観を形成していく機会だと思います。

起きてしまったこと、もはや変えられないことを受け入れるには勇気が必要です。受け入れがたいことであっても、変えられないことは受け入れるしかない。もちろん受け入れるには時間もかかるでしょうが、それでも受け入れていくしかない。そして変える可能性があることに対しては、その可能性がどれほど低く見えてもその方策を考え、決してあきらめることなく一歩ずつ歩を進めていくのだ。

今、日本は、あるいは日本を通じて人間は試されているのだと思います。これを「天罰」と言ってしまう人間は、所詮その程度の人間なのでしょう。

今日、私は、親が養育を放棄した子どもたちの施設に行ってきました。震災の結果、孤児が生まれるだろうし、そのために自分が何をできるかを考えるために・・・



雪かき

3月になって暖かくなったかと油断しているとまた雪が降ってています。今、うちの庭には25センチくらい積もっていて、カイの足はかなり埋もれています。軽井沢は寒い割に雪は少ないと言われているのですが、去年は積雪でガレージが破壊されました。といっても今年、雪で亡くなった人は今のところ127人、豪雪のところに比べると大したこともありませんが。

雪の中、足を上げずにおしっこするカイ

雪の続く時期は、朝、雪かきをしても、夕方にはその作業をあざ笑うように、同じように降り積もっています。また、さらに夕方に再び雪をかいても次の日には何食わぬ顔で同じように積もっています。雪をかく作業自体がまったくの無駄に思えます。しかしそれをさぼると、またその上に雪が降り積もり、下の雪は固く凍っていき、いよいよ始末に負えなくなっていきます。降り続ける雪の中でスコップを持って作業していると、雪をののしりたくなることもあります。しかし、それで何かが改善するわけではありません。降る雪を受け入れ、ただ作業を続けるばかりです。

ふと、黒いダウンコートの上についた雪の結晶に目がいきます。その多様さ、美しさにしばし感動します。


結構、生きてることってそんなものなのかなと思ったりもします。行うことがことごとく目に見えて無効化されていく、しかしそれをしなければツケがたまっていく。「そんなことをやって何になるのか?」と思いつつ、「何にもならないように見えても、もやらないよりはいいのだ」と思いながら行動する。そうしていると、ふとした瞬間に美しいものに出会い感動する。

屋根の雪は放置


この行為は少し時間が経つと無化される、と思いながら作業をすると、空しくなります。せめて雪をかくという目の前の行為に楽しみを与えようと、雪をかいたところとかいてないところがはっきりわかるようにして自分の活動の形跡を残そうとしたり、右へ左へと体をひねりながらスコップを動かし、これは体幹を鍛えるトレーニングなのだと思ってみたり、レゲエのリズムで I shot the sheriff と歌いながら、頭の中にジャマイカムードを無理やり作りだしてみたりしていると、それはそれで楽しくなってきます。そうして作業が終わると、腰が痛い。シャンパンのボトルを庭の雪に埋めて、風呂を沸かして、ゆっくり体を温めます。

風呂上がりに冷えたシャンパンを飲みながら、いずれ跡形もなくなるであろう作業の成果に満足します。

起きることは受け入れ、目の前にあるするべきことをする。あたりまえのことですね。ついつい不平をいったり言い訳したりして、行動を先のばしがちな自分に言い聞かせておきます。また、下を向いて行う作業の中で、目を上げると、ふと、出くわす美しいものを見逃してしまわないようにしたいものです。うつむいてばかりでは大切なものを見落としてしまいます

カイも雪降ると楽しいよね。雪の中に頭をつっこんでます。

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試食会 at ユカワタン(軽井沢ホテルブレストンコート)

軽井沢のホテルブレストンコートで3月6日にオープンするメインダイニングのプレスおよび生産者対象のオープニング前試食会に行ってきました。プレスでも生産者でもないのですがなぜかご招待されました。フルコースそれぞれの料理にマリア-ジュした国産ワインという豪華な試食会でした。

ワインについては、?がいろいろありましたが、それはまたいつか。日本の作り手もとても頑張っているということを言うにとどめておきましょう。 私はいわゆるコレクターではないのですが、うちのワインセラーにはワインが2000本ほどあります。コレクターでないというのは、集めることに興味があるのではなく、ひたすら自分が飲むことにのみ興味があって飲みたいものを飲み、気に入った系列のものを買うということを繰り返していたらそうなってしまっていたからです。
300本を超えたあたりで地下にセラーを作ってしまったのがいけませんでしたね。
ワイン通といえば、食事のときにワインについて蘊蓄を語る人たちは困りものだと思っています。ワイン会ならそれはそれで楽しいのですが・・・そういうことでまた、ワインについて書くこともあると思います。

さて、ホテル本館から林の中の小経を少し歩いていくと奥まったところに一軒家があります。中に入ると無垢の木材、温かみのある壁、明るすぎないバランスのよい照明。席はわずか24席。一人一人の要望に合わせた柔軟な対応ができるようにということです。フロアースタッフも十分な数で、つかず離れずすべての席の要望をいつでも受け入れられる態勢です。席の配置も、一部の有名レストランのように横にずらっと並ぶという配置ではなくそれぞれに余裕のある空間となっています。慌ただしい日常から、時間がゆっくり流れる非日常へと誘う仕掛けは完璧です。

料理のコンセプトは「水のジビエ」ということで、フランスをまねたフランス料理ではなく日本ならではのフランス料理をめざすということです。確かに食材、調理の仕方から器や盛り方に至るまで日本人ならではの繊細さが見事に表現されていました。


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さて料理。アミューズの2品目は6種のアミューズをコースのように小さな大理石の上に並べています。 温かいものは石を熱くして温かさを保っています。左の前菜から右へと進行し、一番右はデザートとなっています。
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一通り食べた後で味の好みを聞かれました。私は味を薄めにしてくれと頼みました。ここで客の好みによって味を調整するようです。前菜のテリーヌ(写真上、信州牛と信濃雪鱒、黄色い部分は烏骨鶏の卵黄です。美しいお皿です)とフォアグラをいただいたあと、スープは佐久鯉と内臓のソーシソン、かなり恐怖でしたが、写真の通りでコンソメはかなりおいしく内臓も鯉の味をしっかり残しつつ苦手な人にも食べやすくなっていました。
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魚料理は佐久鯉のスフレ、川エビのソース・・・少し抑制しすぎたかな???
そして肉料理は3種類から選ぶのですが、下は藤原さんという牧畜家に作り方まで頼んで作ってもらっているという安曇野放牧豚のデグリネゾン  素晴らしい素材です。 しかし料理の写真、難しいですね。もっと美しかったのですが・・・
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信州フロマージュの小さなムニュ、そしてデザートのあともさらに美しく最後を飾ります。
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食器も盛りつけも、視覚的にとても美しいコースでした。器はすべて同じ作り手に特別に注文した陶器で、触感も非常に柔らかく温かみを感じました。

素晴らしいコースだったのですが、私には全般的に少し甘く感じられました。素晴らしい素材なのだけれども、もう少し味の奥行きがほしい、ような・・・長く噛むことが必要な料理がなかったからかもしれません。美しく盛られた一口で食べられる料理だと口の中で咀嚼する時間が少なくなるのは当然のことではあるのですが・・・でも、そういうせいでもないかも・・・

「あまい」というのは説明の必要な言葉かもしれません。(・・・マスメディアでは試食した人が「あまい」とか「からい」とかコメントする、というわかりやすさがうけているようです。貧困な語彙力ですね・・・言葉は恐ろしいもので、貧困な語彙で話していると思考そのものも貧困になり、ひいては感受性も貧困になっていきます。恐ろしいですね・・・)

よくできた人参を地面から引っこ抜いて洗って食べるとぼりぼり噛んでいるうちに次第に甘さが口に広がります。あるいは、とったばかりの貝を海の水で洗ってそのまま食べると噛むごとに甘さが広がります。大地や海が生み出した奥行きのある甘さです。そういう甘さと、口に入れたとたんに「あまーい」といういわゆる「旨み成分」を前面に押し出した甘さは違うと思うのです。いわゆる「あまーい」という甘さには奥行きがありません。子供たちがそのような味に慣らされて育つとしたら少し残念なことです。

だったら素材を味付けしないでそのまま食べればいいじゃないか、というかもしれませんが、そうはいきません。素材と時間も調理の関数。トラフグも寝かして初めて身も柔らかくなり香りも増しますし、肉もどのくらい寝かせるかで素材は別物になります。自然に流れる時間と素材の変化、そしてそれをさらに活かす方向に調理し、盛りつけることで、味覚だけではなく五感すべてで味わうようにすることが可能になります。自然と人為が融合して初めて素晴らしい一皿が生まれてくるのです。自然に対して力づくで人為を押しつけていこうとする料理はたいていの場合失敗に終わります。しかし作り手が引きすぎても素材はポテンシャルを発揮してくれません。
自然には逆らわない、当たり前のことですね

「ユカワタン」(中華料理屋みたいな名前ですね、湯川という川からつけた名前なのですが、ローマ字で書くと意外にかっこいいです)の浜田シェフ、まだまだ進化する前途有望なシェフですからこれからが楽しみです。

コースは全体で一つのシンフォニーのように構成され、ゆっくりとした時間の流れとともに、五感で味わう。そういう時間をたまには持ちたいものです。時計ばかり見て食事しているようなことが続いてはいけません。といいつつ、最近のんびり過ごしすぎたツケが回ってきて、結局今日は徹夜しなければいけない羽目になりそうです。難しいですねえ。

サントリーホールのフレディ・ケンプリサイタル

3月2日フレディ・ケンプのリサイタルに行ってきました。1977年生まれ、イギリスのピアニストで、ドイツ人の父親はヴィルヘルム・ケンプの親族と言われています。母親は日本人で、彼も少し日本語が話せるようで、アンコールのときに「残念ながら次もショパンです」とか言ってとてもチャーミングでした。

前半はJ.S.バッハ「ゴルドベルグ変奏曲」。この曲は私にとっては、グレン・グールドの演奏がどうしても頭から離れない曲です。多分2000回以上は聴いていると思います。グールドは1955年にこれをレコーディングし、26年後1981年にもレコーディングしており、まったく異なる演奏となっていてどちらも名盤です。3枚組で両方の録音とさらにDisc3としてグールドとティム・ペイジが新録音について対話しているというものもあってお勧めです。

で、ケンプのゴルドベルグ。ゆっくりしたアリアから始まりました。静かに思索が始まるような出だしでした。なり終わった音はゆっくり過去へと流れていきます。次の音は余韻の中でゆっくりと立ち上がってきます。

反復部からは、装飾音の部分をやや強く響かせ不協な響きを表しつつ変化を予兆します。

第1変奏に入ると一気に祝祭が始まります。私は二列目で見ていたのですが、鍵盤をたたく指が、鏡面仕上げの板にきれいに映っていて指の動きがよく見えました。のってくると体全体を使って演奏し始め、ペダルを踏む音がバンバンと響き渡ります。ロックまで演奏したことがある(ジェネシスの曲)だけあってリズム感あふれる即興。おそらくミスタッチと思われる音やピアノのバランスがなにか微妙にずれているのではないかと思われる部分もありますが、そんなことはものともせずにハイテンションで進んでいきます。

途中、一息ついて静かな25変奏に入っていきます。内省的というか、再び深みにもぐっていくというか哲学的なものを感じさせます。ちょっとタッチが弱すぎるようにも思いました。隣の男性客は眠り始めています。それはそれでよいのでしょう。

最後に祈りのようなアリアに戻り、深い余韻を残したときには演奏から80分くらい経っていました。全体の構成が見事だったのでしょう、どの瞬間にも緩みはなく、一つの作品として完結したものが、感じ取れました。

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休憩をはさんで、後半はいきなりリストです。リゴレット(演奏会用パラフレーズ)からイゾルデ~愛の死、さらにハンガリー狂詩曲。このラプソディーの6番ではロック(岩石)を投げつけるかのようなパワフルな演奏を見せてくれました。力強い疾走感、楽しい、楽しい、ニコニコしながら体全体で聴きました。

舞台を去っていくその歩き方がとてもかわいい。少年が大きく腕を振って歩いているようなピョンピョンというリズムで歩きます。

アンコールはショパンのノクターン。舞台を去り、戻ってくると、先のように「残念ですが、またショパンです」と日本語で紹介してショパンのノクターン変ホ長調作品9-2がはじまりました。

おそらく、指が鍵盤を抑える圧力と音から音へ移る時間が完全に私と呼応したのでしょう。おそらくほんの少しのずれもないほどにつながったのだと思います。もう少し圧力が強くても弱くても、ペースが早くても遅くても同じことにはならなかったと思います。感動したとかいう感情もなくただ涙が流れていました。とても有名な抒情的な音楽で、いまさらノクターンに感動するほどロマンティストではない、はずだったのですが…
なんだったんでしょうね。

最後のアンコールはブラームスのワルツ15番&16番 このときはなんだか遠くから音が聞こえているような感じでした。

録音とライブのちがいは圧倒的なものです。今生きているということ、今ここにいるということの一回性、音が現れては消えていくという一回性、場に対する身体的呼応、つまり聴覚以外の感覚もすべて使ってその時その場にいるということ。

同じことは二度と繰り返されないのだということ。
今ここでしか生じえない体感。
人は現場でこそ生を実感するものなのですね。
 
当たり前のことですが・・・
プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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