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「待つ」という積極的行動について

この頃、人は待つことが下手になったように思います。
人と待ち合わせるというのは、ごく日常的なことですが、相手よりも先に行って待っているというよりは互いに時間ぎりぎりに行こうとする傾向が強いように思いますし、また時間を過ぎるとせわしなく携帯メールで連絡を取り合おうとします。いわゆる待ち合わせスポットをやや遠くから眺めると「携帯をもったサル」ともいうべき景色が繰り広げられているのにぞっとします。江戸時代には「待つもまた楽し」と待つ気持ち自体を楽しむ余裕があったようですが・・・「待たされる」という被害感覚ではなく「待たせてもらえて楽しみが増す」という余裕ですね。

そうはいっても私も現代という時代の中、ひときわ忙しい日々を送っているので人と待ち合わせるときに無駄な時間を使いたくないという気持ちはあります。しかし、それでも待たざるを得ないときなどは、体の重心を少し動かすとどう感覚が変わるか、足の指への知重のかけ方を変えると内臓(体全体)がどう反応するか、などと微妙な動きをしているとそれに夢中になり、1時間くらいならば立っているだけで退屈はしません。また、どこからどう相手が来るかを想像していると、それだけで楽しくなってきます。もちろん、生活の時間が限られているのでできる限り人を待ちたくはないというのは否めません。しかし、夜に月にかかった雲が晴れるのを待つ、早朝、鳥がさせずり始めるのを待つ、ワインを開けてから状態が上がってくるのを待つ、そういう「待つ」行為は時間を豊かなものにしてくれます。

食事であれ、買い物であれ、メールであれ、「待たせない」というのがサービスの一つとなった時代には、待つこと自体が堪えられない人格形成がなされていきます。

レストランで注文を取りに来ないのをイライラする(インテリアやテーブルの配置やらを見ていると1時間くらいは飽きないものなのに)、メールの返事が来ないのをイライラする(手紙ならば1週間くらいはかかったものなのに)、勉強の成果がすぐにでないのに落ち込む(対象によっては何十年かの思考を必要とするものもあるのに)電車がちょっと遅れると駅員にどなり散らす(インドでは20時間遅れとか普通なのに)といった具合です。もちろんサービスが向上したことは素晴らしいことですし、当然のサービスが提供されないときの怒りはもっともですが、あまりに急いでいる姿は滑稽なものです。急げば急ぐほどその行為自体は空疎なものになるものです。

そのような時代の中で、「待たなければならない」ことへの耐性が弱くなってきているように思います。

たとえば、怪我や病気の治癒。安静にして放っておけば自然に治るようなレベルのものでさえ、治るのを待てずに、薬で治そうとしてしまう人が多いようです。体力を回復しながら治癒を待つ、という行為は場合によっては積極的治療行為なのですが・・・待てない人は、せっかく体が下痢をしたり発熱したりすることで病気を退治しようとしているのに、それを薬で止めてします。そういうことを繰り返していくうちに人間が本来もっていた自己回復力はどんどん衰え、同時に自分のからだの声を聞きとる力も衰えていってしまいます。人間が本来持っている自己治癒力はおそらく計り知れないものがあるだろうと思うのですが、それを自らどんどん損なっていっているわけです。…まあ、わたしもカサブタができると、治って自然にはがれるのを待てずに、すぐにはがしてみたくなる癖はありますけど…

あるいは、知的成長。知識の獲得自体はスピードをあげることは可能なのですが、それが身に着くにはやはり長い年月をかけてその知識を身体化していくことが必要になります。

今は、自分が理解できないものに出くわすと、否定的にとらえて排除してしまおうとする学生が多いようです。いわく、「説明が下手」「言葉が難しすぎる」「抽象的すぎる」「自分には関係ない」。 自ら成長の機会を放棄するとはもったいない、と思うのですが、わからないことがあるとすぐにネットで検索して具体的情報を得ることになれている学生たちにはわからなさを留めておく耐性がないようです。「超訳ニーチェの言葉」[論語の言葉」というような偉人や哲学者の言葉を集めたり愚かな解釈をしたりしたくだらないものが売れてしまうのも、ニーチェや孔子を読む気などさらさらない人々が即効性を求めて答えをほしがっているからでしょう。あるいは「わからない」と恥ずかしげもなくいい放ち、わからなくてもかまわないのだと開き直っている学生さえいます。何かを知って喜びを感じるのは人間の本性だとアリストテレスは言っているのですがそうした本性も失いつつあるのかもしれません。これは、もちろん学生に限った話ではありません。

本が理解できないときに、それでも丁寧に読み進みそのわからなさを内面に留めておくと、何年もたってあるとき、ふと理解できるようになることがあります。そうした時に、その本を読み直してみると、読むべき時が来たのだなと実感できます。また、想像力というと空想のようにとらえられがちですが、想像力がきちんと働くには基本的な体験の蓄積が必要だということはいうまでもありません。

あるいは子育て。大人は環境を整えて待つことしかできないという領域は多いのですが、なかなか待てない。すぐに自分の思い通りにしたがってしまう。もちろん放任しろというわけではありませんが、それぞれの子供のスピードに合わせて成長を待つことは必要です。子供を東大に入れたいと思うならば、なぜ自分は子供を東大に入れたいかじっくり考えてから、子供にその意志を伝えるべきでしょう。そういう親がいる環境ならば東大に入るために小さいころから無理やりお勉強をさせなくても、その程度の成果は出せる子供に育つでしょう。「わが子を東大に入れる本」やら「わが子を天才にする本」やらというようなものを手に取る気持ちは、子供を駄目にする親への第一歩なのでしょう。

さらには発話を待つこと。ツイッターなどでは「焼肉屋ナウ」といった言葉が飛び交いますが、それを二日経っても発言したいか、などとは誰も考えません。「焼き肉屋 ツーデイズアゴー」なんていうツイート見たことありません・・・そんなのツイートしても意味ないですよね・・・・ツイッター自体はゆるいネットワークであることが力を持ちうるでしょうから、「焼き肉屋ナウ」というツイートそのものを否定するつもりはありませんが、そのような発話が習慣化されることで、言語や思考、人格そのものが影響されることは十分にありうることです。言葉を熟成し反芻しその上で発話するという習慣を身につけることも必要だと思います。

日本のテレビの討論番組や、ネット上での議論とは言えないレベルの意見のやり取りなどは、、相手が意見を言い終わるまで待つ、それを自分が理解するまで待つ、自分の意見が熟成するまで待つ、といった「待つ」という行為が完全に抜け落ちているが故に、ただ自己主張をし相手を否定するだけの権力示威大会となり果てているように思われます。これは権力を批判するスタイルをとっているジャーナリストにも言えるようで、初めから結論を決めて相手の話を利用しようとする浅ましさが、3・11以降のいわゆる良識派、権力対抗派のジャーナリストに目立つようです。忙しく走り回りインタビューしたり出版物を書いたりするうちにじっくり思考する習慣を失ってしまったのでしょう。おそらくネットメディアにもてはやされているうちは治らない病でしょう。そもそも思考するタイプの人間ではないのかもしれませんが。

努力の成果が表れるのが随分先のことだと思うと努力そのものが空しくなる、という学生との会話。受験を終えて大學に入った生徒に「哲学書を読んで成果はあるのですか」と聞かれて、「いつかは成果でるかもしれないね」と言うと「そんな遠い成果は待てません」と言うので「じゃあ何を待つでもなく待てばいい」と返答すると「わけわかりません」と言われました。私の学生時代は、「ゴド―を待つ」のも生き方のうちと考えていたのですが・・・不条理だとはいいながらも、決して来ないかもしれないものを、また来たからとてどうなるわけではないものをただ待っているのも人生か、とか、何を待っているか分からないけど待っているのも大切だ、とか、いや何が来ても反応できるように待っていること重要だ、とか、飲みながら話していたものです。(参考 サミュエル・ベケット「ゴド―を待ちながら」ちなみに鴻上尚史は第3舞台の立ち上げ「朝日のような夕日をつれて」で「もう待たない」というメッセージを送っています)。

太宰治の書いた文章で、「けれども私は、やっぱり誰かを待っているのです。いったい私は、毎日ここに坐って、誰を待っているのでしょう。どんな人を? いいえ、私の待っているものは、人間でないかも知れない。」という一節があります。毎日ただ駅のベンチに腰掛けて待つ対象もないまま待っている女性についての文章です。「待つ」というのは対象がない場合でさえ、かなり深い意味を持っている行為であるように思えます。

3・11以降、原子力発電の問題が目の前にさらされ、これは非常に長期的に向かい合っていかなければならない問題となっています。もはや私たちの生きている間、あるいは子どもたちの生きている間には解決不能な問題となりました。自分の行動の成果は、たとえ多少あるにせよ、自分の目で見ることはできません。目で見えないものを、自分の存在がなくなっても「待つ」ことが必要になっている時代なのですね。「待つ」という行為の積極的能動性。「急いてはことを仕損じる」といえば当たり前のことなのですがね・・・
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プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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