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気仙沼・陸前高田ツアー

2011年9月24日25日と気仙沼、および陸前高田に行ってきました。以前このブログに書いた「和太鼓に選ばれた男」佐藤健作と「驚異の能楽師」津村禮次郎が被災地で演じる「不二プロジェクト」(祈りは響く)を見にいくためです。被災地を自分の目で見たことがない学生や若い人にも経験してもらおうと、新幹線よりは安くすむバスツアーを企画しツイッターで募集したところ40人近く集まったのでツアーを催行しました。

前日に気仙沼のホテルで泊まり、次の日に陸前高田まで移動するという旅程で、まずは気仙沼プラザホテルへ。ホテルは海を見下ろす高台にあり、津波の被害はありませんでした。そうは言っても、震災後、以前にはいなかった虫が大量発生していて、窓は開けないように、ということでした。このホテルでは震災後、宴会を開いていないということでしたが、何とか宴会場を使わせていただけることになりました。本当にありがとうございました。

宴会場に集まった皆さんの前で、今回の趣旨を語りました。食事を目の前にして長く話は聞きたくないだろうと思い、できるだけ簡単に話そうと壇上に上りました。「西きょうじです」と挨拶をして皆さんのほうを見ると、みな真っすぐ顔を上げて話を真剣に聞く、という空気でした。上は41歳から下は19歳までみなとても姿勢を正して目をこちらに向けています。簡単に話し終えるか、当初の予定を変えて少し長めに話すか、一瞬躊躇したのですが、予定通り簡単に話し終えることにしました。

まずは、被災地に来たからと言って復興ボランティアに参加しろというわけではないことから始めて、情報が大量に早い速度で流れていく中で、一度立ち止まって自分の目で見ようとすることの重要性。つまり、知るとわかる、実感する、というのはまったく異なるものであること。そして目で見るだけでなく、被災地の空気、景色、太鼓の音を全身で感じ取ってほしいということ。そしてその経験を身に焼き付けてほしいこと。いつもブログに書いているようなことですね。相変わらず当たり前のことです。

あとで、もう少し話してほしかったという声も聞き、空気から感じた直感に従うべきだったかとも思いましたが、食事が目の前にある状況ですからあれでよかったのだと思います。私を始めて見る人たちもいましたし。

食事はホテルがとても気遣ってくれてすばらしい献立でした。仲居さんたちによると、「本来の仕事ができて今日はうれしい。やはり私たちの本来の仕事はお客様をもてなすことですから」ということです。彼女たちが本来の仕事に戻れる日を願います。気仙沼といえばアワビ、ふかひれが浮かびますが、アワビは生きたまま蒸し焼きに、ふかひれたっぷりのふかひれスープも付きました。どちらもこの日のために仙台から取り寄せてくれたようです。気仙沼の漁業の復興を祈ります。
 気仙沼の復興といえば、「ふかひれブランドを守る会」「気仙沼みらい創造塾」など若手の活躍が目立ちますが、今は建築禁止となっている浸水地を今後どうするか、が、まずは大きなポイントとなります。個々のがんばりを支えるには大きな視野を持つ公的な計画が必要でしょう。しかし今の政治では先へのビジョンを掲げることが難しいようです。

食事中、卒業生たちが代わる代わるにやって来て、少しずつ話しました。20年前の生徒、10年前の生徒、そして大学生、直に教えた生徒からサテライン(衛星放送)で教えていてこの日が初対面の生徒まで、みなそれぞれに現在の様子などを教えてくれました。それぞれにとってこの日が印象に残るものであってほしいと思いました。

夜は屋上の展望台で星を眺めていました。彼らは空を見上げて美しい星に興奮しています。多分、その角度からじゃないだろうと思い、展望台を一周歩くと見事に星が流れそうな角度が見つかりました。眺めているとツーっと星が流れました。彼らに教えると皆移動して来て、流れ星を待ちます。やがて、流れると、「次は願い事を言おう」とはしゃいでいます。若い、というか、幼いというか、今ここで願うことは一つであるように私には思えてしまいますが、ともかくも元気です。「あっ、流れた。」「願いは?」「言えなかった」という会話が繰り返されるうちに、おそらく星が流れるその一瞬に自らの願いを唱えられないような人生を送るのだろうなあ、と思ってしまいました。

誰にもチャンスは来る、が、そのチャンスに気付きその一瞬に賭けられることができないと、チャンスは過ぎていってしまうものなのだと思います。場合によってはその一瞬ですべてが変わるかもしれないのに。そしてチャンスなどは言葉の通り偶然にやってくるものなのですから、予期することもできません。あらゆる一瞬にすべてを賭けられる覚悟がないようでは、せっかくのチャンスをつかみ損ねる人生になってしまうのではないかとは思いますが、だからいけないというわけでもないですね。

部屋では十人ほどが集まって、三時半ごろまでいろいろと話しました。くだらぬ話題になることもありましたが、それぞれ何らかの刺激にはなったようです。

翌日の午前は気仙沼の破壊された港を見て回りました。6月に行った時の石巻のような状態で復興は進んでいません。石巻は随分片付いてきていますが、ここは津波が破壊していった傷跡がそのままに残っています。瓦礫は集められてペシャンコになった車が積み重ねられてはいますが…車にOKと書かれた文字が痛い。中を確認して死体があれば回収してから、なければ確認した印としてOKと大きく書くのだそうです。船が陸地にひっくり返っています。冷凍倉庫は一部の外壁を残して中が突き破られています。まずは冷凍倉庫と氷を置く場所がないと漁業の復興は難しそうですが、相当時間がかかりそうです。

すぐ近くに大島が見えます。美しい島ですが波が島全体を乗り越えたらしいです。その画像はhttp://ftfreha.net/report/201192223.htmlで見ることができます。

日の出から気仙沼を見て回っていた女の子が、ホテルに戻ってばっさり髪を切ってしまいました。理由を聞くと、「何かの衝動だったとしか答えようがない」と言うのですが、あとで「何かを供えたかったのか、自分がここで変わったという確たる証拠がほしかったのか、かもしれない」というように言っていました。わかるようなわからないような…

それから陸前高田へと向かいます。道が水没していて何度かUターンしました。テレビで何度も見た奇跡の1本松。周囲が完全に壊滅状態の中、瀕死の状態でありながらもなんとか生き残った1本の松。現地で見ると本当に奇跡的だと思いました。大きな建物が次々と破壊されていったのに、周囲の松もすべてなぎ倒されていったのに、この木だけが…

陸前高田の松原苑は海を見下ろす高台にある福祉施設です。開演まで時間がたっぷりあったので、彼らは海岸に降りて津波の残した傷跡を見て回っていました。私は石巻に移り住んで復興に携わっている若者や東京から応援に来ている放射線科の医師(同年齢でした)と話しながら、開演を待ちました。

いよいよ、開演。澄み切った青空、ぎらぎら照りつける太陽を背に、太鼓の音が響き渡ります。空に捧げる祈りの太鼓の音。「人と神との交信を見た」という感想もあったようです。その模様はhttp://tihayable.jp/fujiproject/index.htmlで見ることができます。もちろん大太鼓「不二」の空気の振動を感じることはできませんが…

ぼろぼろ泣いてしまったという学生もいました。今見たばかりの被災のなまなましい傷跡、その場にいる自分、そして力を奮い起させる祈りの太鼓、謡いと舞い、それらが一度に体に心に押し寄せたのでしょう。アンコールのラストで三つの太鼓の音がそろわなかったのはご愛嬌でしたが、素晴らしい公演でした。

今、被災地であろうがなかろうが、日本は、いやおそらくは世界全体が危機的状況にあると思います。しかし、相変わらず、日本人のかなり多くは、当事者性を持っていないように思われます。また、被災についての発言に対して、「当事者(被災者)でないくせに、当事者の気持ちがわかるはずない。(ここまでは、もっともです)だから、黙ってろ」というような幼稚な言葉を声高に発する風潮もあります。当事者性を持つことの困難さは言うまでもありませんが、当事者でなければ発言できないというものではありません。以前「想像力」と「当事者性」についてはこのブログにも書きましたが、今この時代に再びニーメラ―の有名な詩「彼らが最初共産主義者を攻撃したとき」を読みなおしてみることには価値があると思います。

「ナチ党が共産主義を攻撃したとき、私は自分が多少不安だったが、共産主義者でなかったから何もしなかった。
ついでナチ党は社会主義者を攻撃した。私は前よりも不安だったが、社会主義者ではなかったから何もしなかった。
ついで学校が、新聞が、ユダヤ人等々が攻撃された。私はずっと不安だったが、まだ何もしなかった。
ナチ党はついに教会を攻撃した。私は牧師だったから行動した―しかし、それは遅すぎた。」

以上が日本でよく紹介されるバージョンですが、最後は「そして、彼らが私を攻撃したとき、私のために声をあげる者は、誰一人残っていなかった」というほうが原文訳です。いずれにせよ、今、どこかで起きていることは自分にも起こりうるのだ、そしてそのときに初めて行動してももはや遅すぎるのだ、という想像力を持って現実と向き合うことが必要なのだと思います。

最後に、ツアーに参加した人たちからの感想を抜粋します。様々な感想を聞き、被災地にボランティアとしてではなく、ただ見に行くことへの後ろめたさのようなものが少し解消されました。やはり一度は、被災地を自分の目で見ておくほうがいいのではないかと思います。

「ぽつりと落ちたお茶碗の欠片から人の生活を想像してみたり。色んな思いがぐるぐるもやもや交錯しています。このもやもやを忘れず何か行動に変えていきたいです。」

「とても感慨深い体験をさせて頂きました。現地で五感をフルに働かせて感じた事は、時間が経てば経つほど私に新しい発見をもたらしてくれる事でしょう。」

「映像ではわからないものすごさを感じました。瓦礫の山や崩壊した建物以外は何もなく、その中にぽつんと花束が供えてあり胸が締め付けられる思いでした。早く復興してほしいという気持ちと自分で今何ができるか考えさせられました。」

「今回特に感じた事の一つは、現地を目の当たりにした時の、映像からは感じる事のできない距離感でした。目測できるものもそうですが、やっとあの災害が同じ世界での出来事なのだと実感できた気がしました。」

「わたしは被災の光景を見ても当事者にはなれませんでしたが、被災する前の町の姿を見てみたかったと思いました。少しでもその姿を取り戻せるよう、何が出来るか考えようと思います。」

「気仙沼でも陸前高田でも笑顔をみせる地元の人々がいて、悲惨な地上と対比するかのような驚くほど綺麗な空と山と海がありました。雄大な自然と太鼓や能がダブって見えた。人の弱さと強さを感じて、色んな感情がぐちゃぐちゃする中でも、一日一日しっかり生きようと強く感じた」

「流れ星がよく見える空と真っ暗な気仙沼。更地になった陸前高田に咲くコスモス。今も人々は生きている。指先に伝わってきた振動。余韻。メロディ。全身に焼き付けた。終わっていない。半年たった今も続いている。日常に戻っても忘れません。」

「実際に自分の足で被災地に立って見る光景はつらかったです テレビで見る映像には特に感じるものはなかったので、行って良かったです 当事者意識をより強く感じて生きたいと思いました」

「このツアーを企画してもらい、本当にありがとうございました。部屋でのみながら話してたこと、大太鼓の音、被災地で感じたすべてのことを普段の日常生活や行動に影響を与えていきたいと思います。」

「現地に行って、はじめて感じたことがたくさんあります。うまく言葉になりませんが、いまはただ踊りたいです。 このような素晴らしい機会をくださり、ありがとうございました。」

「更地になった敷地跡にぽつりと供えられた仏花、拾い上げられて祀られた小さな福禄寿、素材ごとに丁寧に積み分けられた瓦礫の山、海に向かって開かれた太鼓の音(開かれた音は体の重みも消してくれた)。そして津波の跡は優しく緑が覆っていた。斜面には赤い彼岸花。」
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プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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