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踊らされるな、自ら踊れ―情報以前―

踊らされるな、自ら踊れ
このフレーズは20年来、生徒に言い続けてきたフレーズです。

バブルに踊らされる人たちの狂乱ぶり、そしてバブルが崩壊していく様を見続けてきた世代として、時代にさらにはメディアに踊らされることの危うさを実感し、それを学生たちに伝えようとしてきました。踊らされるな!しかし、80年代バブルがはじけてもITバブルや投資ブームがさらに人々を踊らせました。市場原理主義と自由主義の相性のよさが「利潤のみを追求する」こと、「規制を緩和しすべてを市場原理に委ねる」ことを正当化した結果なのでしょう。資本主義の必然的帰結であるにせよ、人々にこれを煽っているのが、マスメディアであることは確かでしょう。

そして今は、ネットメディアが普及しマスメディアを補完するものとして、あるいは対抗するものとして多くの情報がすさまじい速度で流されています。このような情報過多とも言える状況の中で、情報に振り回されてしまっていては、自分の足元を見失ってしまいます。また、嘘ほど大声で語られるものですから、声高なものについ耳を傾けてしまう習慣を身につけてしまうと嘘ばかりが耳に入ってくることになりかねません。

かと言って情報に耳を閉ざしてしまうと、現代の中で生き抜いていくのは難しくなってしまいます。「世界など関係ない、自分が小さな幸せを得られればいい」というわけにはいかないほど世界は個人の領域に侵入してくるからです。また、耳を閉ざそうとする姿勢そのものが、自分を硬化させ、生の柔らかさを失い生そのものを窒息させてしまう原因ともなってしまいます。

あるいは自己保全のために、情報入手を自分が居心地がいいもの、自分にとって耳当たりがよいもの、に限定してしまうと、自分のバイアスに気付かなくなり、自分の周辺こそが「セカイ」だという傲慢な幼稚さを助長させてしまいます。そしてバカほど群れたがる習性をもっているので、この種のバカが増殖するとその「セカイ」を人に強要するような権力志向になりがちです。そうなるとその自己正当性への過信は他者否定につながっていきます。バカにつける薬はない、とはよく言ったもので、バカは伝染性の病ですから気をつけましょう。

さらに、情報に踊らされてしまうものは自らも発言力を持ちうると勘違いし、ツイッターなどで有名人に絡んでみたり、思考なき言語を発しつつむやみに同意を求めたりします。また、言語を発する前に思考する習慣もなく、また人の発言に対してもただ情動的に反応してしまうので、しばしば何の意味もない口論に陥りますが本人はその無意味さに気付かないことが多いようです。

では、情報に踊らされてしまわないためにはどうしたらよいのでしょう。現代、マスメディアのみの情報では信頼性を確信できなくなり、かといって自分の気に入る情報に限定して入手するのもダメ、ましてや情報に耳を閉ざしてしまうと現代では死活問題に関わる可能性もある、ということになれば何を基準に情報を入手し、自分で判断すればよいのでしょう。

またもや「当たり前」の結論に向かいます。まず、「踊らされないぞ」と頑張らないことです。「~しない」と強く思えば、~してしまうのが人の常なのです。「踊らされない」と思うより、「自ら踊る」と思ってしまいましょう。動かないで凝固しているのは「生きている」ことと相反することです。いずれにせよ人は生きている限り、動くのです。だったら、もぞもぞちまちま動くのではなく、大きくからだを動かして踊ってしまいましょう。

からだが感知する心地よいリズムに合わせて踊ること。あるいは自分の身体が命じるリズムに従って踊ること。もっと簡単にいえば、楽しいことをすること。ただし、その楽しいことが、自分にとってどういう楽しさなのかを対象化できることは大切です。

「踊らされない」ために大切なのは情報入手以前の段階での自分の鍛え方です。もちろん、情報をそれなりに入手しながら鍛えていくしかない段階の人には入手以前はありえないのですが、そうであっても、時にはオフラインの時間を作ってやることが必要です。常にオンライン状態だと脳が疲れ、短絡的思考になり、思考習慣を失うと、それがそのまま人格形成につながります。ツイッターなどで思考なき言語を発したり受け取ったりし続けるとそれが自分の思考習慣になり、ひいては自己形成につながってきます。先に述べた、人の発言に対して思考する時間をおかずに情動的に反応してしまい思考なき言語で反発する、といったこともそうした人格形成の結果とも言えるでしょう。これは対面しないでコミュニケートする場合には文字情報だけが伝わるので文体そのものに対して感情的に反応してしまうということも原因として考えられます。ただし、対面している場合も相手の外見や声の質そのものに対して反応してしまうことも十分にありうるので、ネットの問題に限ったことではありませんが、少なくともネット上のほうが留保なく相手への攻撃を行いやすいとは言えるでしょう。本当は対面のときよりも自分のペースで発話できるのだから一瞬、気を下腹に持っていって呼吸を深くしてから発信することは容易なはずなのですが。ちなみに感情的に口論している人たちは両者ともに呼吸が浅いのが特徴です。

では、情報入手以前における鍛え方はどうするか?
またまた当たり前の結論ですが、まずは、不必要なことにできるだけ労力を使わないことです。脳の研究者によると、人の忍耐力や決断力には個人差はあるにせよ、ある一定の限界があるようで、限界を超えて疲労状態になるといきなり能力が鈍るようです。つまり、不必要な忍耐、決断が多いと必要な忍耐、決断がうまくできないということです。毎日決まった時間に寝て決まった早い時間に起きてほぼ決まった朝ごはんを食べて同じように散歩して、お昼にお買い物して夜ごはんは何にしようかを選択する。やっぱり、おばあちゃんたちは偉かった。実はこんな簡単なことがなかなかに難しいところに現代社会の問題点があるような気がします。選択肢はある程度以上多くなると人を不自由にするものです。たとえば、あるハンバーガーを注文するのに、パンからピクルスに至るまで40回ほど選択して自分の選んだハンバーガーを手にするというのが、毎回の作業だとすれば、うんざりしてしまうでしょう。自分の注文のベースをデータ化してその都度選ぶのは2項目か3項目としておくほうが実際的な選択といえるでしょう。そもそも選択の自由などあると思い込むのがいけない。そのようなものはないのです。あると思うから職業一つ選べなくなってしまいます。気にいる職業がないならば選ばなければいい、自分で作ればいいだけのことです。自分で有限の選択肢を見いだし、そこから選択することが実際的に生きていくということなのです。話が少しずれていますね。もどしましょう。

情報入手以前の鍛え方としては、まずは不必要に我慢したり選択したり決意したりしないで、どうでもいいことはルーティーンに委ねる。つまり、自分の決断、主体性を減らす、そうしながら自分の受動性を高めるということです。情報処理はまず人の話を聞く力を身につけることから始まります。昔から口は一つ耳は二つ、といいますよね。まずは人の話をきちんと聞く練習から始めましょう。

「受け取るだけじゃだめだ、発信しなければ始まらない」とよく言われますが、それは「受信できること」が前提なのです。またもや話がそれますが、英語にPractice makes perfect.という諺がありますが、日本語訳として「習うより慣れろ」という表現が定着しています。これは、まったく誤訳だと私は思っています。「実践によって完璧になる」というのは「理論(theory)だけでは不完全なのだ」ということであり、theoryを前提としています。「習うより」のようにtheoryを軽視しているわけではないのです。同じように「発信しなければ」というのは「受信できる」こと、または、発信できる内容が備わっていることが前提となります。人の思いを受け取れない人がただ自分の思いを熟成させないまま「発信」すればいいというわけではないのです。もちろん、具体的状況を知らせ必要な行動を促すための発信は即時性が必要なので熟成させていてはいけません。あたりまえのことですね。

話を聞くということの重要性は昨年の講演会(Ustream Arkive:http://www.ustream.tv/channel/nishikyouji
資料:http://kskktk.sakura.ne.jp/nishikyouji1203/handout.pdf
講演ハッシュタグ:http://twitter.com/?_twitter_noscript=1#!/search?q=%23nishi1203)
でも、様々な例をあげて説明しましたので、時間があるときに是非ご覧ください。

受信能力を高めること、これこそが踊らされないための鍵なのです。
そのあとは、ある程度の教養を身につけるか(しかし、教養主義に陥らないような教養を)、あるいは直感を磨くか、ということになるでしょう。直感を磨くとスル―すべきものと目にとめておくべきものが瞬時に判断できるようになります。自分と反対の考えであっても自分の関心のない分野であっても、ノイズも適度に含めながらこれは見ておこうかな、と感じられるようになるものなのです。また、教養とは知識のことではなく自己を相対化して自己から離れてみるために自己よりもはるかに広い領域のあり方を知っておくということです。情報入手に関してはある問題についての両極端の考え方を見ておくようにすることはそのきっかけとなります。

私自身は自分にとっては直感を磨くことがきわめて重要だと考えています。直感は先の講演会で述べた受信能力、とくに自然からの受信能力を高めることから磨かれる部分と、人とのつながり、ぶつかり合いの経験から磨かれる部分、さらには抽象化されたもの(数字など)と向き合うことから磨かれる部分があると思いますが、これらは独立したものであはありません。徐々に科学的にも追及されつつありますが、おそらく21世紀の科学は当たり前と思われてきたことを科学的に立証する傾向があるので、今述べているようなことはいずれ科学的に裏付けされるだろうと思ってます。

受信能力が高まると発信能力も高まります。もちろん、音楽を聴く力ができると演奏できるというわけではありませんが…少なくとも受信能力ができると、自らが発信しようとするものに対する判断力が生まれてきます。自分が発信する場合には自分が自分の立場からできる限り離れたところから自分の発信内容を受信してみればよいからです。「人は自己から離れて生きるようになると生き始める」とはアインシュタインの言葉ですが、自己から離れられる知性を身につけることはとても重要なことです。

情報をうまく受信し、対象を受け入れ、自らのリズムで動き始めること。できれば自分の内的リズムで踊れるようになることが理想です。踊るリズムは基本的に身体性に依存します。そしてそれは外的リズムと調和してこそ楽しく踊れるのです。中に引きこもって自分の考えに固執するような頭でっかちの哲学者になってしまってはうまく踊れません。身体性についても先に紹介した講演会ではかなり言及していますから参考にしてみてください。現在の早期教育が危険なのは、幼いころに身体をつくることの重要性を無視して情報のインプットに走ると脳そのものの成長が妨げられると思われるからです。東大に合格して終了、というような貧弱な脳になってしまっては何のために東大に合格したのか意味がありませんよね。成績優秀な若者に鬱に陥る人が多いのもそういうことなのかもしれません。いくつになっても成長できる脳をつくっていきたいものです。自分のリズムで踊る、つまり自分にとって「楽しいことをする」には身体性を伴って「楽しさ」を感じられるようにすることが大切です。脳は情報入力刺激のみでも快感を感じてしまうようですが、そのまま突き進んだ結果は脳の早期退化に繋がるのではないかと思います。もちろん今のところ実証的な根拠はありませんが…

今回の結論、「踊らされるな、自ら踊れ…  自分が本当にしたいと思えることをしよう。自分のリズムと外部を共鳴させながら…身体感覚をもって」

今回はlogicalじゃない文章のつなげ方をしてみました。つっこみどころ満載ですね。twitterで突っ込んでくれて結構です。できるだけきちんと対応(応じるか、無視するか、ブロックするか)します。
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プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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