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ツイート集2011年7月

1日
よく質問に来る生徒は顔を見なくても後ろから来ても、気配で誰だかわかるのは当然のことと思っていたが それができない人もいるらしい。気配を察することって基本的なことだと思っていたら質問に来た当人に驚かれてこっちが驚いた。もう少し視覚以外の感覚を大切にしてあげたいものだ。
 
(コメント)五感を鍛えるためには視覚に頼らない練習が必要だ。人の空気感が感じられるようになると言葉が少なくても理解が進行しやすくなる。

続くツイート

ときに目をつぶって生活する日とか、極度なまでに電気を使えない日とか、素材から食事を作る日とか、一度も座らない日とか、やってみるといいのに。…すべて私がやってみていることだけど・・・和服の帯などもそうだが、制約によってエネルギーが集中し自由度を高める・・・

5日
人を無意味に焦らせる時代ではある。だから止まってみることも重要なのだ。何に焦っているかを考えるより、思考も停止してゆっくり瞑想してみる方がよいかもしれない。それから考えてみたら?

6日
「言語を公に発するのはビビる」というツイートに

びびれ。おれはびびってる。畏れなき無神経な発言者の仲間入りはまっぴらだろ。まだまだ言語を発することには畏怖の念を感じ続け、やっと生まれる不器用な言葉を切れ切れに発するのでよい。

8日
理解不能なものに直面したときにどう反応するか?拒絶して見ないことにするか、理解不能な対象を批判し自己を正当化しようとするか。そのままに受け入れ保留しておけるか。すぐに質問、反論する人が多すぎる。もちろんこれは授業レベルのことではない。「知性とは驚く能力のことである。」ロランバルト

(コメント)矛盾する異質なものをそのままに内に置いておける力は重要。思わぬ時に思わぬものがつながり、よいアイデアが生まれることもある。

8日
雨が上がりそうな昼。 庭のたちつぼスミレ。雨を受け流していた葉が水滴が落ち切ると姿勢を整え今出てきた太陽に向かう。二時間ほどの何でもないことも時間を共有するとドラマになる。

(コメント)最も読むべき書物は自然なのだな、やはり。無心に向き合う2時間はとても充実した時間だった。

9日
音楽と西欧的合理性についての質問に答えて
 
たとえばインドの音楽はそもそも12音階にはおさまらないしね。ピタゴラスの合理性では割り切れない部分があることはピタゴラスが一番理解していた。対位法を学ぶと、奥行を理解できるようにはなるが、それで割り切れない部分が常にある。尺八や笙の音・呼吸もノイズがあってこそ。

10日
横浜で授業を終えて、夕食後、夜の海を見ていた。波がゆらめくのが心地よかった。ベイブリッジの明かりも消えていて静かでよい時間だった。波の音をゆっくり聞くのはひさしぶり。

(コメント)なぜかリプライ多く、それらに答えて

うちから高速で日本海に抜けると糸魚川あたりだと思うが、海岸で波が押し寄せるたびにとても美しく小石がカラカラと澄んだ音を立てるところがある。少し高い音でずっと聴いていてもあきない。新潟の海、いいねえ。

日原の鍾乳洞もいいよ。水琴窟 すばらしい音が続く。繰り返さないリズムと透明な澄んだ音。心の変化と似ているかどうかはわからないけど。

11日
たとえば万年筆を使って書く場合とPCを使う場合は同じことを書こうとしても自然に文体や選択する単語が変わる。たぶんそれが自然なことなのだろうと思う。

(コメント)これは本当に不思議なのだが、万年筆でないと書けない文体がある。身体性の問題ではあるが、書くのに費やす時間や使う筋肉や心構えが様々に異なってしまうからだろう。

「画家たちの二十歳の原点」 面白い。 様々な画家の二十歳当時の作品と言葉 悩みと怒りと孤独と怯えと傲慢と絶望 生の声がひしひしと伝わってくる。

(コメント)高島野十郎などは二十歳の自画像でガリガリのからだに生気のない腕から血が流れている。なんでこんな自画像を二十歳で描いたのか。晩年のロウソクの炎の絵は本当に燃えている炎が目の前に浮かび上がるような絵だが・・・二十歳っていい頃だなあ。

12日
今とにかく生徒を必死にならせようとしている。自分らしくないが…たかが受験勉強であれ全身全霊で向き合う短期間を経験させたいと思う。そういう経験があるかないかは受験にかぎらず大きな違いを生む。ぬるま湯から出でよ。希望なき時代にそれでも希望を生み出すために!受験生以外にも言いたいが…

(コメント)「なんとなく幸福」な若者が多いともいう。幸福だというのをを否定するつもりはないが、もっと楽しいこともあるよ、とは言いたくなる。「できない」と思ってたことも意外にできたりもするものだし・・・

14日
脆弱なぬるい自己肯定感も、 傷つくのを避けるための浅い自己否定感も、自らを向上させたければ 決別すべき甘えである。無心に目の前の現実に向き合うことだ。

(コメント) なんだか気合い入っている。

15日
思考は常に決定不能に至り、その中で暫定的に結論を持って、行動すべきことは行動し、その行動を反省しつつ、また思考を重ねる。歯切れよく社会に切り込んで見せるネットで人気のジャーナリストたちの思考なき言説の浅さにはうんざりする。その社会を作った側にいる年齢だろうに、自己批判はしない人達。

(コメント)なんだか歯切れよく話す人には警戒心を抱いてしまうのです。「正義」とか唱える人たちや、弱者の側に立つと称することで自己正当化を図る人たちにも。「弱者の側に立つ」という言葉自体、自分を弱者から切り離しているじゃないか。

18日
「あなたの知識は受け売りにすぎない」、と友人に言ってとても反感をかってしまったという人へのリプライ
そういう相手に核心をついたことを言ってはいけないのだよ。知識なんぞ、どの道、すべて受け売りにすぎない。それをいかに自分のものにするか、自分のものにしたときは受け売りにすぎないと言われてもびくともしないようになっているものだ。自分のものになっていない人は脅える。
 
18日
いまさら光瀬龍原作萩尾望都「百億の昼と千億の夜」読んだ。「トーマの心臓」「半神」などで高校時代衝撃を受けた漫画家。プラトン、仏陀、阿修羅、対イエス 弥勒、世界の創造と破壊計画。なんとなく時代がかったもの(1977年作)を感じながらも妙に今の終末的時代とシンクロして面白かった。

(コメント)彼女は震災後原発について作品を発表しています。(「菜の花」「プルート夫人」「サロメ20XX」) 
また、同時期(1969年)にデビューした「日出処の天子」などで有名な山岸凉子はチェルノブイリの事故の2年後1988年に「パエトーン」という作品で火の車を手に入れてしまうことの脅威について描いています。その中でコップを手に持って「このコップを一生落とさないって言える?」というフレーズがあり、妙に印象的でした。コップを持っていることなんて簡単、と思っていても「一生落とさないって言える?」と言われると返答に困ってしまいますね。

19日
原田芳雄死去 「さらば箱舟」見直し中。若き山崎努もすごい。 寺山ワールド。松田優作と原田さんと下北沢メリージェーンで飲みに付きあわせてもらったことを思い出す。優作さんは手がやたらでかくて頭を手の平で掴まれた。存在感すごかった二人。役者がどんどん小粒になっていく。時代とはいえ…

(コメント)リプライ「 日本は強烈な個性派が新たに生まれにくい時代にいるのかもしれませんね。かなり広範な分野において。」

29日
塾の先生から生徒のニーズについて質問されて

私は生徒が見えていないことが多いようです。そのニーズを見ないことにすることも多いです。生徒のニーズに合わせることが生徒をだめにすることも多いので。予備校講師なので私は保護者の相手をする義務もなく、私を拒否する生徒を説得する義務もないので助かっています。楽をしてますね。

(コメント)教育を市場原理主義に任せてしまうことは危険だと思う。高校生の時に最低だと思った授業が今思うと実によい授業、経験だったりすることは多い。その段階で評価していたら最低評価をつけただろうな。生徒の、さらには親のニーズにあう教師なんていうのは教師としての役割を果たしていないのではないか、とさえ思う。

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ツイート集2011年6月

2日
国会で寝ている議員とゲームをしている議員の名前はさらしてほしい。そういう人を選んでしまった有権者のために。茶番の端役とはいえまともに演じてほしい

そもそも国会議員の座り方が醜すぎる。子どもに見せられたものではないだろう。背筋がだらしなく曲がり、腰が入らず抜けきっている。あれじゃあ腹も座らない。背もたれにある一定上の力がかかると電気ショックを与える仕組みの椅子に座らせたい。公の場で国の代表者として座っている気構えがない。

躾とは身を美しくする、と書くのだ。美しいものを見せねば躾にならない。国の代表があんなに醜い姿でどうする!座り方、話し方からやり直してほしい。体は心を表す。

体は自然のままじゃだめで教育することによって作られ、きちんと作られた体は自然を知るのだと思う。きちんとした姿勢はとても合理性が高い。

今日数えてみたが、予備校生でもまあまあきちんとした姿勢で椅子に座って授業を受けている生徒が3割くらいはいた。

オクスフォード留学が決まった生徒からのメール。空手をやってきた少年だが、留学前にお茶を習い始め「一期一会の精神を貫くためにすべての所作が合理化され、「精神性のための合理性」が結晶化されているのを感じます。」と言っている。

(しつけをきちんとできる大人がいないというコメントに)
ただ因習や伝統にすがりつこうとする、あるいは強要する脆弱な大人はいかんと思うが、 人に姿勢をきちんと教えられる大人は必要だと思う。確かにそういう大人が減ってますね。残念なことです。

(コメント)議員に対して、かなり怒っているが、それとは別に本当に姿勢は大切だと思う。たとえば、肩が前にいき、猫背気味になると、まず深い呼吸ができない、だから全身に酸素がいきわたらない、するとイライラしやすくなるしじっくり思考する力が失われる、というように姿勢と人格に相関関係が生じることもあるのです。そして、集団単位で見ると姿勢と学力には相関関係もあるように思います。
 しかし、眠っていた議員に対する怒りは収まらないようで、さらに二日後にはこんなツイートも。

「こないだ国会中に寝ている議員に腹立ててたら、寝るのは確信犯のようだった。議員宿舎はラブホテル、国会は酒酔いを醒ますための昼寝場所と決めている人もいたのだ。「政治に誇りと信頼を取り戻す」というのがキャッチフレーズの人なのに。政治家の世襲と財産相続はすべて禁止にするといいのかもしれない。」

5日
私も「なんでもたやすく手に入るという近頃の風潮が、どれほど私たちの人間をゆがめ、冷酷にしているかわからない」(「日本のたくみ」)という部分には全く共感した。

(コメント)白洲正子の「日本のたくみ」についてのやりとりで。昔はよかった、などと結論付けるつもりはないが、便利さと引き換えに失ったものは大きいのかもしれない。「豊かさ」とは何かをしみじみ考えてしまう。

6日
Indignez vousをやっと読んだ。去年フランスで100万部売れた32ページの薄い本。「怒りなさい」93歳の人が若者にもっと怒れと呼びかけている。怒るだけでは何も生まれないとは思うが、「怒り」を表現できない日本の若者へ。バカな大人達に飼いならされるな!

(コメント)日本の政府を見ていると怒る気力さえ失せそうになるが、妙に幸福そうな若者たちを見ているのも居心地が悪い。まあ、「怒りは自分に盛る毒である」(ホピ族)、「怒りは敵と思え」(徳川家康の遺訓)、などと怒りを戒める諺も多いのだが、怒りのエネルギーを理性的行動に向けることも可能かとは思う。

7日
基本的にエネルギー値が低いように見える若者たちに、「近頃の若者は」などというぼやきのような批判をするのではなく、怒りの表現の仕方を様々に提示することも必要なのかもしれません。きっと内面には大きなエネルギーをもっているはずと信じています。

(コメント)そのエネルギーの使い方が見いだせないまま、欲求不満を抱えている若者は多いのではないか、と思う。自分にもいろいろなことができるのだという具体的な可能性を提示することで、エネルギーは解放されるのではないかと思います。若者のエネルギー値そのものが低くなってしまっているのならばそれは国の存亡に関わる問題かもしれませんが…

10日
明日から頑張ろうって言う人は… 大学に入ったら頑張ろうと思い次は社会人になったら、次は結婚したら、更に子供ができたら、子供が独立したら、定年になったら、と先送りをし続ける。結局「あの世に行ったら頑張ろう」にしかたどりつかない。今、頑張れよ!結果は未来にしか生じないが。

(コメント)
carpe diem. 「今日をつかめ」 ソローは英語でseize the day という本を書いた。ブッダは「過去に生きるな、未来を夢見るな。今の瞬間に集中しなさい」と言った。大切なことは昔から変わらない。「明日こそは」などといいながら「今日」をなげやりにし続けるものに素晴らしい明日は来ない。

12日
・・人は他者を測る言葉で測られる。批判対象に向けた言葉はみずからに跳ね返る。また、人は文なり。自戒の念もこめて・・・私の場合、人間が未熟なので、人を批判した後で、自分にその要素が本当にまったくないのかよくよく考えてみると、自分にもなんらかの形で当てはまるなあ、と反省することが多いので・・・

(コメント)口汚く人をののしる人は、その文体によって既に人を批判する資格を失っていると思う。しかし、自分も他者を批判するときには呼吸と思考が浅くなっているようだ。いざという時に深呼吸し気を腹に落とすことはとても大切だ。
 原発反対、TPP反対を唱える人たちについても、同様のことをこうツイートしている。(私自身はどちらにも反対のスタンスだが)

立ちあがるべき時に勇気をもって立ちあがるのは大切なんだけど、その時大声で叫ぶNOの何分の一かは、これまで楽をしてきた自分に向ける批判であってもいいんじゃないか。私は声高に語ったり語られたりするのが苦手なだけで、頑張ってる人を否定するつもりはありませんが…

「面白い人と出会わない」と言う学生に、

刺激を受ける人間はいた方がいい。それはどの世界でも偏在しているようだ。しかし必死で走ればそして鋭敏に研ぎ澄ませば出会える、あるいは出会いに気づくようだ。一人に出会えればあとは広がる。

(コメント)人は時間的にも空間的にも偏在しているというのは、昔からの実感で、ある時代には強烈な個性が集まり、ある時代にはそうではないとか、ある特定の場所に行くと面白い人が続々と表れるが、そうでない場所ではみなが自分にとって興味の持てる人ではないとかいうことだ。今はソーシャルネットワークを活用すれば刺激を受ける人のたまり場は見つけやすいし、繋がりを持つことも困難ではない時代だ。

16日
あるシステムの中で如何にうまくやるかばかり考えている人は システムそのものを変革しようとは思えないのだろう。自分の予測せぬ方向にシステムが変われば既成のシステムに合うように自己を成型しきることに成功した者ほど自分は不必要な部品に成り代わるのに。しなやかさを失うと危ないよ。

芯がなく柔らかいのは柔軟性とは言わないので、しなやかに揺れながら変化しながらもぶれない軸を自ら作ることが重要だろうと思うよ。

(コメント)社会の歯車になるな、ってこと。今さらながら…しなやかさは水分を失わないことから生じる。乾いてしまわぬように!

24日
どうにもこうにも野暮な奴が多いなあとウンザリして九鬼の「いきの構造」を新幹線でよみかえしている。失われつつある日本人の感受性。

ついでに「いきの構造」は青空文庫でただで読めます。「いきの構造を読む」のほうが入門的ではあります。粋、息、意気、生き、と無、諦念を見事に結びつけ、恋愛の粋について語りつつ自らの論理性以上に実践(京大教授が芸者にいれあげ、再婚…時代も考慮すると…)していく生き方で粋を体現した。

(コメント)ある時代の日本人は本当に素晴らしいと思う。

「逝きし世の面影」と言う本では江戸末期から明治初期の日本を外国人がどう見たか、が描かれています。もちろん当時の外国人の視点ですからオリエンタリズムに感動しているということはあるにせよ、そこに記されている当時の日本人の美意識や親切心、礼儀正しさ、さらに幸福度についての記述は、今の日本人が読むと「これってどこの国の話?」と思うだろう。

「これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない。喋り笑いながら彼らは行く。人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、「おはよう」「おはようございます」とか、「さよなら」「さよなら」というきれいな挨拶が空気をみたす。」とか「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている」とか…

25日
信濃美術館・大原美術館コレクション。人もまばらで絵と間近にじっくり対峙できた。ジャンルイフォラン「舞台裏」美しかった。熊谷守一の「陽の死んだ日」もぎりぎり近くでじっくり見られた。4才で死んだ息子の死に顔、30分ほどで描いたという。息子への思いと自分への怒りが一気に炸裂している。

それから隣接する東山魁夷館。今回は北欧が中心。「夕星」に久しぶりに再会。魁夷最後の作品。手頃な複製があったので購入。書斎にかける。平野遼「青い孤独」(これは本物)は今の気分には合わないのでしばらく休憩。書斎には祖父が友人の小磯良平にもらった神戸のスケッチと魁夷がかけられることとなった。妙に落ち着く。

ついでに、善光寺にも行き,戒壇めぐりをした。狭い中を少し歩くだけなのだが、そこには完全な闇がある。二回歩いてみたが、二回目は目を閉じてみた。目を開けているから闇が不安なのだ、と思ったのだが、普段は目を閉じていても光を感じているのだとわかった。完全な闇はときに経験する必要がある。

闇の中で目を凝らす経験は大切なことだと思う。そして目を閉じていても光を実感し、目を開けていても闇を実感できる感受性も必要だと思う。そして光を体感する瞬間、世界は豊饒な音楽になる。

(コメント)少し酔っていたのかなあ。何かを購入するとハイになってしまうのかも。

ツイート集2011年5月

5月5日
吉野屋の前を歩いていると広告がはってあった。「さらなる旨さへ」ふーんと思うと同じ紙に「100年変わらない旨さを」変わるの変わらないの? 私には読み取れないんだけど。

(コメント)これは妙に反応が多かった。未だに変わるのか変わらないのか不明

5月6日
「議論は、それによって自分の意見が変わる可能性を認めているもの同士じゃないとする価値はない。自分の意見を相手に押し付け相手を言葉で打ち負かそうとする人はそもそも議論を始めないほうがいいだろう。」と言ったらキレられた。「キレると頭回らなくなるからにこにこしよう」と提案したらまたキレられた。
だのに、「また会おう」ってしつこい。「議論しないならね」、と言っておいたが、議論好きはまた議論しかけてくるのだろう。私は議論てあまり好きじゃないんだけど・・・困ったおじさんだ。また会うのかなあ。世間ではエライ人なんだけど・・このツイート読んでくれないかなあ。読んだらまたキレるか。ムズイ。

(コメント)本当はそもそも議論というもの自体に意味がないんじゃないかと思っている。議論して何か得られたことある?人の意見を聞くのはいいことだが、議論しても仕方ないと思う。議論するという行為に熱中したいならば、そういう人同士でやればいいのに…

5月8日
佐藤健作の太鼓久しぶりに聞いた。軽井沢でやってくれてありがとう。体で感じる体験をさせてくれる芸術は今とても少なくなってしまったので貴重な体験だった。

(コメント)この後、陸前高田で彼が演奏するのを学生たちと見に行くことになる。
http://kyoji111.blog40.fc2.com/blog-date-201105.html

5月9日
岡潔「自分に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。」大人も!
予備校生は本質を切り捨てた単純化したわかりやすさを求めがちだが。

一見近道に見える道こそ罠で一見遠回りに見える道こそ最短経路であることも多い。初めは苦しいものだ。しかしそれでこそ得られる喜びも大きい。易きに逃げずに頑張ろう。
「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその道は広い。」旧約聖書より。

(コメント)生徒にウケル授業が求められているとのリプライ。確かに予備校では生徒アンケートなるものがあり、生徒が講師を評価する。私はいつも評価が異常に低い。口頭説明が多いと苦情を言う学生までいて驚く。説明を聞いて自分でノートをとるというのは当然のことなのだが、黒板を写したがる生徒もいる。自らを奴隷化したいのか!
ということで私のリプライ

しかし生徒にうける授業は合格させられないとしたら?単純化したわかりやすさは生徒にはうけるがその場限りのものにしかならず、応用はきかない。つまり抽象化しないと意味がないのだが、抽象化するには頭を使うことが必要になるからそういう授業は避けられやすい。

(コメント)するとパターン化したほうが能率的だというリプライ。それはそうなのだが… 次の日にはこうツイートした。

ネイティブアメリカンは 物事をゆっくりやればやるほどその時間は充実する と言う。現代社会では難しいがね。

5月17日
殺人焼き肉屋についてはもちろんひどいものだと思うんだけど、生肉を子供や老人に食べさせる人(犠牲者を責めると世間が怖いなあ)も、生肉はヤバいものだ、胃の環境が整っていて初めて食せるものだ、という認識がそもそもなかったのかと思う。要するに世間の常識が消えうせていることも一因かと・・・

(コメント)店で生肉を食して子どもが死んだという事件についてのコメント。私たちはノビルとハシリドコロを区別できないと、あるいは毒があるキノコかどうか区別できないと痛い目にあうと思っているのだが、子どもが生肉を食べていいかくらい親が判断できるべきなのではないか、と思う。もちろん店側の責任は重大だが…そうして次のようにツイートした。

そういえば、学生の時「河原町のジュリー」という有名なホームレスに1週間ほどつきまとっていたことがある。彼に続いてゴミ箱の弁当を拾って食べようとしたら、取り上げられて、「それはあかん。素人さんは腹こわすで」と言われた。うまそうに食べる彼がうらめしかったが、彼は正しかったのだろう

(コメント)河原町のジュリーはとても有名だったらしく彼のことを語るリプライが多かった。確かに「京都新聞」で「ジュリー髪を切る」という見出しをみたことがある。

5月18日
そりゃあ品格ない人の品格本がはやると品格本を出す女性の品格のなさや、物とこだわりを捨てることを薦める人が、商標登録をとってでも金儲けしたい浅ましさが世間には受けるのだろうけど、釈然としないものは残る。

(コメント)新書は題をあらかじめ決めてから書き手を探すものもあるそうです。
「~の品格」とかねえ。それを引き受けるのは品格がないと思うなあ。


5月20日
受験生にツイッターは時間を減らすように言うと息抜きは必要ですと言われた。確かに必要なのだが息抜きが必要なほど勉強している人ではなかった。易き道へ自己正当化しながら流れていく。癒しが必要でないレベルのものまで癒しを求めて自分を弛緩させている。

(コメント)「癒し」が必要な人が多くいるのは認めるが、「癒し」といいつつ自己を甘やかすことを正当化しようとするものも多い。

5月21日
work&rest 集中と解放 両者のバランスが大切。ずっと息抜きみたいな生き方しているように見える受験生は多い。ぬるいんだな。自らを瀬戸際においてみると限界ラインが変わってくるのに・・・ときにはギリギリを経験してみるとよいと思うよ。


5月23日
感じる力を枯渇させた人々が生半可な知識を振りかざして様々なことを論じてるのは 滑稽でさえあるが 当人たちは立派な論を展開していると信じているのだね。感じる力を大切にしたいものだ。


5月25日
たてはな 川瀬敏郎「わたしの花は即興です。立ち止まって考えると、花は死ぬ。まして、いじくり回すことは禁物ですべて一発勝負です」格好よすぎる。いけ花見たい!

(コメント)川瀬敏郎は「芸術新潮」で連載していました。感じることを教えてくれる。花をきれいに活け終わったら、惜しげもなくたちまちにしてそれを崩して違う形にしていく、完成形をその場に留めるのではなく、次の形へと向かっていく。パトナ・レイ「万物は流転する」

5月24日
私へのツイート

はじめまして。 先生の『浪人できているという環境は世界的に見れば希有なことだ』という話には刺激を受けました。

(コメント)人は自分が恵まれていることにはなかなか思い至らず、愚痴や文句を言ってしまうものなのですね。

5月25日
「生意気ですみません」というツイートへの返信

ある種の生意気さというかambitionを持つ若者は大歓迎です。昔合格報告に来た生徒に「先生、生き方間違えてます。」と言われてニコニコしちゃったことを思い出したよ。
京大に合格したその生徒は「先生は予備校にいるべきではない。広い世界に出て下さい」というようなことを言った。彼の京大合格にはかなり予備校講師としての私も貢献したんだが…面白い生徒だったよ。今も時々連絡はくるが…

(コメント)彼の発言には本当に驚いたしうれしくなったなあ。堂々とこんなこと言い放つ生徒はなかなかいない。

5月28日
新緑の頃、木々が枝を伸ばし緑のトンネルのようになる道がある。今日は曇ってはいたが、オープンカーで緑のトンネルをゆっくり走ったら頭がすっきりした。排気ガスを出しながら言えることではないのだろうけど、緑の風を感じた。ふと、緑の光線、という言葉を思い出した。昔好きだったロメールの映画。

(コメント)やはり東京を離れている時間は私には不可欠なようです。

5月28日
「先生は穏やかになった」というコメントに対してのリプライ

それはよかった。穏やかになったのは、今まで機関銃をむき出しに構えて生きてたが、それを捨ててしまい、いざとなれば核兵器を持ち出せるから、小銃で撃ってくる相手は放っておける、というような余裕を持てるようになったってことで、結局やはり過激なのかもしれない。

(コメント)字数内に収めるのにとても苦労している苦しい文章だ。しかし、昔の「ポレポレ英文読解」の著者紹介の頃の写真は今見ても鞘を捨てて刀を構えているような顔だった。このブログにあります。http://kyoji111.blog40.fc2.com/category0-1.html

5月27日
男性には正しいプライドを持ってもらいたいものだねえ。せこいプライドは放り捨て、命より大切なことがある、と背筋を伸ばして言い切れる矜持くらいは持っていたいものだ。

(コメント)「命が一番大切」なんざ誰が言ったんだ!命を粗末にするわけではないが…

5月31日
国家斉唱起立合憲。くだらぬ裁判! 学校が社会化の場である以上理不尽にみえても形式的に従うことを教える役目がある。戦いたければ形式的に従いつつも戦う手段を自分で模索していくことを教えるのが教師だろう、少なくとも今の時代には。右翼であれ左翼であれ子どもはきちんと育てて欲しい。
反対ならば自分が何故反対かを子どもに語りつつも、意に反していても起立する必要がある場合があることをも語るか、職を失っても信念を貫き潔く辞める姿を見せるか。闘う気持ちは理解可能なものだが学校で子どもに見せるものじゃないだろう。

(コメント)ルールを教えるのが教育だろう、ってことですね。「自由に」「のびのび」「個性を尊重して」とかバカじゃないのかねえ。

5月31日
時代に迎合するつもりはないが、変化を拒んでいると風化してしまうしね。有効な道具は使う、いつの間にか自分が使われてしまわないように。20年ほど言っているのは「踊らされるな、自ら踊れ」 まだまだ踊らせていただきます。

(コメント)「時代に合うように」と、自分を成型しきったら、時代が変化するといらない部品になり果てるよ、ってことですね。「時代」をつくるくらいのつもりでなきゃ。

5月31日
おそるおそる京大の添削を持ってきた生徒との会話。
「京大行くんでしょ」「できれば・・・」
「行く、と言え」「見栄はるのは・・・」
「見栄をはるのではない、見得を切るのだ。京大に~、ここでどんと右足を出す、いきます、ここで目をつりあげる、手伝っておくんなさい、こうだ、やってみろ」

彼はなかなか見事に見得をきり、「よし」とほめたら「ありがとうございました」と堂々と頭をさげ、去って行った。あれ、添削は?・・・しまった、あきれられたか、と思っていると、次の日にどんと10年分持ってきた。去年の夏の京大英語。そいつは合格したよ。自信なさげな若年男子へ、見得を切れ
プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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