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東大受験生には東大一番幻想を捨てさせよう

これは教師対象の東大分析会の原稿ですが、東大志望ではない受験生や教師を含め様々な人に考えてもらいたいと思います。前回、今回と東大ものが続いてしまいましたが…

まずは受験生には東大に行きたいというモチベーションをしっかり持たせることが重要です。何人東大に合格させるか、という学校側のモチベーションが受験生のモチベーションになることはあり得ません。

東大に不合格であった場合に現役合格を優先し、すべり止めのつもりであった大学で妥協する学生も増えています。リスクを引き受け浪人してでも第一志望の大学に行きたいという学生が減っているのは、不況や家庭の経済的事情なども要因ではあると思いますが、モチベーションの低さも大きな要因になっていると思います。
(もちろん、モチベーションしかない東大志望の学生とは十分な対話が必要ですが…)

さらには不合理なまでにリスクを回避しようとする傾向も一因となっているでしょう。しかし、「一度失敗してもやり直せる、そして願いをかなえることは可能なのだ」という経験の可能性を簡単に放棄してしまうのはもったいことだと思います。

モチベーションが低い、失敗を過剰に恐れるというのは現代日本における一般的な傾向なのかもしれませんが、僅差で合格できず、すべり止めの大学に行きながらも、実際にはきっぱりと精神的けじめをつけられず、いつまでも自分は東大志望だった、東大に行けたのにという思いを引きずり続けるのは残念なものです。ましてやそれを口に出したりしようものならば、もはや滑稽でさえあります。

失敗をバネにすることでそのあと大きく伸びる人もいますが、それはきっちりとけじめがつけられたからでしょう。東大に固執しないで自分なりにけじめがつけて別の世界に向かって頑張るならばそれはそれで素晴らしいことだとは思います。しかし僅差ならば1年浪人するくらいのリスクを引き受けてもいいのでは、とつい思ってしまいます。
(ちなみに、予備校サイドの立場から浪人生を増やすために発言しているつもりではありません…) 

もちろん現役で受かるに越したことはありませんが、そのためにも東大合格への強いモチベーションを持たせることは出発点です。

ではどこに東大合格へのモチベーションを見いだせるのか?

大学での学問に接する以前の受験生が「東大ではこのような研究をやっているから」という理由を見出すことは容易ではありません。

また、単に「日本で一番の大学だから」という理由で無理に無理を重ねて受験勉強する生徒は、実は合格しにくいものですし、合格するとしても東大側が拒否したいと言っている「合格した時には伸びきったゴムのようになっていて伸びしろがない学生」に分類されることになりやすいでしょう。

「東大に合格した瞬間がその人の人生で最も輝ける瞬間である」と言われてしまうような学生が多くなっているから、そのような言及があるのだとは思いますが。

東大が求める学生像と実際に入学してくる学生があまりにもかけ離れているため、ついには推薦入試などという暴挙にでようとしているのでしょう。公式通りパターン化して問題処理をするだけの生徒を排して、新たなテーマに向けて広い視野を持って思考できる学生を求めている、というのは前回のブログで述べたとおりですが、現実にはパターンで溶ける問題だけを解くという目先の合理性にたけた受験生も合格してしまっています。

「東大が一番」という意識をモチベーションにして合格した学生は、卒業後も「東大という学歴にすがる生き方」に陥りやすいという傾向もあるように思われます。せっかく東大に合格して様々なチャンスがある環境に入れたというのに残念な話です。東大はそれとはまったく逆の東大を世界に認めさせるくらいの学生を求めているというのに。

話は変わりますが、高校からダイレクトに海外の大学に留学する可能性を学生に示唆しているという先生はおられますか?

外国に留学することが必ずしもよいというわけではないのですが、(ちなみに今年の早稲田の国際教養学部の自由英作文の問題は「海外留学する学生の数が減ってきていることについて」でした)、ハードルが高くても少なくともその可能性を現実的なものとして提示してみるというのはよいのではないかと私は考えています。(留学から帰国した学生がアメリカに洗脳されて日本を批判し始めるという光景はもううんざりですが、それは留学する以前の個人の資質なのでしょう…)

ハーバードに行った大学一年生が、ハーバード生を日本に呼び1週間ほど合宿して日本の高校生にカレッジの授業を経験させるという夏イベントを1昨年から始めました。学生主導のH-labという団体です。初年度から定員をはるかに上回る申し込みがあり、書類選考で相当の人数を制約しなければいけないくらいでした。私も夜の座談会の時間に話に行っていろいろな高校生、大学生と話しましたが、彼らには東大1番幻想はありませんでした。中には高校1年生も数人いました。高校生の段階でそうした環境があることを知り、東大を相対化することは大切なことだと思います。ベネッセもその後、似たようなイベント「ハーバード大生と高校生の交流会」を開催しています。海外の大学への進学のニーズはあるということですね。

実際にハーバードに進学した学生たちと話すと、出会う人間の幅の広さ(年齢層・国籍など)が圧倒的に違うという印象が一番大きいと言います。「講義の初日に今年の目標は一生語りあえるような自分とは異なる友人を数人見つけることです」と言われて感動したという話も聞きました。

東大自体も世界に開かれた大学にしようという意識を持っていると考えられます。秋入試の実現には暗雲立ち込めていますが、今年の秋からcourseraで、藤原帰一教授の「戦争と平和の条件」と村山斉特任教授の「ビッグバンからダークエネルギーまで」という講座を開講します。世界の大学の講座も受けることができる環境は整ってきているのは素晴らしいことですし、東大が海外の大学と講座を並べるのは素晴らしいことだと思います。

話を戻します。東大に行くモチベーションについてでした。東大の大きな特徴の一つとして大学に合格したら全員が教養学部に入学するということがあげられます。教養課程を廃止する大学が増えていった時期にも揺るがず教養学部を維持してきました。リベラルアーツをしっかり身につけるということの重要性をとても大切にしている大学だということです。

(ちなみに京大は今年3月12日に5年後までに一般教養科目の半分を英語で行なうという計画を発表しましたが、これでは深い内容の講義は難しくなってしまうでしょう。英語で様々な範囲の深い内容に触れる講義に学生が応じられるというのは厳しい話です。おそらくは英語での講義が有効性を持つのは範囲がきわめて限られ多科目ということになるでしょう。もちろん経営学や統計学は購読する文献自体がほとんど英語なのですからそもそも英語で講義するべきだろうと思いますし、今でも一般教養科目が形骸化しているという事実も否定できませんが…)

リベラルアーツを学ぶということは幅広く様々な領域についての知識がつながりを持つようになることで、ある分野についての視野狭窄に陥らない自由な思考を持ちうる奥行きのある人間形成に貢献するものです。

そのことにどれだけの重要性と魅力を感じることができるようにさせるか、私は予備校の授業でも、liberal artsの意義とそれによって自分の知識、自分の世界観が広がることの楽しさを語ってモチベーションを高めるように意識しています。学生には「雑談」と分類されてしまいますが、前回のブログでしつこく述べたように入試問題にもそれを示唆する文章が多く出題されています。
 
東大が求める人間像に魅力を感じること、「東大に行って幅広く社会を見たい」「東大に行って様々な高レベルな人と出会いたい(そのためには自分も自分の考える校レベルな人間を目指すことが必要です)」というモチベーション、「勉強は、修行、苦難ではなく、何かを知ること、考えることは楽しいものなのだ」という感覚を受験生に持たせることは東大に値する学生を東大に送り込むための重要な出発点だと思います。

東大の入試問題は解くことに楽しさを感じられるように作られているようにも思えますし,勉強を楽しめるものが合格するようになっているのです。
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東大入試は社会に課題を突き付けている

以前、ブログに書いたことがあるのですが、今年の入試問題も含めて少しリライトしました。

今年の要約問題もしっかり現代批判につながりうる問題です。

東大出題テーマについての私的解釈~将来の東大生へのメッセージ(改訂版)

東大の問題を30年分ほど見直してみました。そうしてみると東大は入試問題を通じて受験生になんらかのメッセージを発しているように見えてきます。私が勝手に解釈しているのかもしれませんが、その時代性に応じたテーマを選びながら、いわゆる近代合理主義への批判、伝統的価値観の再評価という主題が読み取れるように思われます。その上で、目に見える偏差値ばかり追い求めるような、つまり目先の目標達成しか見えないような、世間でよく批判的に思い描かれる東大生になってはいけない、広い視野で物事をとらえられるようになろうとメッセージしているように思われます。

いくつかの出題を例にあげながらそれを見ていくことにしましょう。

医療の分野では、2007年に、技術の進歩を認めながらも現代医療が見失っている人間的コミュニケーションの重要性が述べられた文章が出題されています。時間をかけて患者とコミュニケートするという心のふれあいが大切だというのは、まさに合理性と能率を追求する現代という時代が見失いつつある部分です。いわゆる近代合理主義が切り捨ててきた部分が本当は切り捨ててはいけない重要な部分なのだという主張に見えます。統合医療的視点といえるでしょう。ちなみに日本統合医療学会の現在の理事長は東大名誉教授の渥美和彦氏で、統合医療学会はしばしば東大で行われています。

また、母親の思い出を述べる文章(2009年)では、母親のことばとして、「便利と称しながら結局は仕事を増やし、ささやかではあるけど本当の喜びをとりあげることになった」と述べています。まさしく合理化が切り捨てたものへの郷愁です。電動フードプロセッサーを使わない理由は野菜を切ることが好きだから、クレジットカードを使わない理由は代金を払うときには掌でその額を実感したいからだと述べています。前者は現代の身体性の喪失を示唆するような言葉であり、後者については、よくよく考えてみるとお金の実感を失って数字が暴走する金融経済とお金を手に感じる実体経済が対比されているようにも見えてきます。おそらく、人間はいかに不合理な選択をするかという脳についての観察結果や経済行動学と統計学(アンカーについてなど)などの分野は今後の要注意テーマです。2013年にはダニエルカーネマンの「ファストアンドスロウ」が出題されています。

あるいは同じく2009年の要約問題では、地面に1ペニー貨を隠して通行人にヒントを与えて見つけさせるという遊びについて書いたあとで、「疲れすぎたり、忙しすぎたりするからといって、立ち止まって1ペニー貨を拾うことができないというのは本当に忌まわしい貧困である」と述べています。この文章の要約は「世界には無償で手に入れられるささやかな喜びに満ちており、その発見に意義を見いだせるような質素で純真な心をはぐくめば、一生喜びを発見し続けられるだろう」というものでした。忙しく、疲れながら贅沢を求めていく中で喜びを見いだせなくなっていくという現代性への批判といえるでしょう。

2001年の要約問題も同じ方向性で、「些細な日用品であっても正しくみれば単なる物を超えた意義深い価値を見出すことができる」という趣旨の文章でした。文章中に、トーマス・カーライル「衣装哲学」から「物はすべて、窓の役割を果たすのであり、その向こうには、哲学する目からは無限そのものがのぞけるのである」という一節を引用しています。些細に見えるものを観察する力は科学・哲学の出発点といえるでしょう。

1986年には「想像力は世界を動かすと言えるはずなのだが、目に見えないところで作用しているので、それが果たす功績はごくわずかしか評価されない」という趣旨の英文が出題されています。これは想像力があらゆる文明の根底であることがわかっていない教師への批判として書かれています。

目に見えるものばかり求める現代社会への批判という点では、「大切なものは目には見えないのさ、心で見なくっちゃね」という「星の王子様」に出てくるキツネの科白を思い出しますね。

想像力という点では、さらに2011年には「他人の痛みは理解できるか」というテーマの自由英作を出題しています。2011年3月に東日本大震災が起こって、これはますます重要なテーマとなりました。

2007年の要約は大都市にはない小さな町の素晴らしさについて。都会では没個性となりやすいが、互いに顔の見える小さな町では個々の人間が地域の不可欠な要素となり心豊かな人間関係が築かれているということが書かれています。都市化が切り捨ててきた地域社会の人間関係の素晴らしさが書かれているわけです。地域社会に住んでいる私からすると必ずしも顔の見える社会は必ずしもいいことばかりだというわけではないのですが・・・コミュニティーのあり方については今後も出題注意です。

さらに思考スタイルなどについては、1995年に前後の文もなくわずか1文だけを出題し、和訳させたことがありました。その出題形式に私はかなり驚きました。

「創造的思考とは、物事をいつも通りの仕方ですることにはとくに何の意味もないという認識を意味するにすぎないと言えるだろう。」という文意でした。創造的ではない受験勉強を続けてこざるを得なかった受験生を挑発しているのかとさえ思えます。

同様のテーマとしては1990年に「プロの風景画家は、美しい風景をただ写すだけの素人画家とは違って、平凡な光景を画題として選び、そこから自分の技量で芸術を生み出すのである」というような創造力を具体化した内容の問題も出題されています。

さらに2013年には「蜘蛛の巣は外部からの力の強さに応じて硬さを変える柔軟性をもっているので損傷を局所に限定できる。それを耐震建築や安全なネットワークに応用することは可能だ」という要約問題が出題され、損傷を局所に留める柔軟性があれば全体の安全は守られる、という細部に留まらない全体的視点の重要性、柔軟な受け止め方の重要性が述べられています。些細な傷が致命傷となってしまいやすい硬さや視野狭窄に陥りパニックを起こしやすい思考体系を批判しているのかとも思われます。

1992年には、蛍光ぺんを使う学習を批判した文章の要約が出題されています。蛍光ペンで本文にマークするというやり方は受動的な読書習慣を助長し、能動的、批判的、分析的に読書すべき青少年には有害である、という趣旨です。与えられたものを受け取るだけでなく能動的に読書することを促しています。自ら発言しないで教室に座っているだけの教室を改善すべく東大は1993年から英語の教材としてUniverse of Englishを教科書として導入しました。

また、東大はUFOも好きなようで、少年がUFOの本を読んでいるときに実際にUFOが窓の外に飛んでいるという絵について英作文をさせたり、2010年にはスタートレックについて書かれた文章を要約問題として出題しています。ただし、実際の問題では、スタートレックという固有名詞はすべて原文から削除しSFとしています。スタートレックを見たことがあるものの優位性をなくしたかったのでしょう。全体の内容としては「SFは空想的なものとして低く評価されているが、真剣に科学の研究対象とする価値がある」というものでした。2009年に始まった政府による「事業仕訳」では「無駄」として真っ先に切り捨てられてしまう分野でしょう。SFをテーマとしながらも、合理性で切り捨ててはいけない部分に切り込んできているようにもみえます。

言語テーマでは、2003年には世界の言語数の減少について、1995年には西欧言語中心に発達してきた言語学はそれ以外の言語をも包括した文法理論を構築すべきだ、という西欧中心批判が出題されています。2005年にはエスペラント語についての長文が出題され、2010年には「全世界の人がみな同じ一つの言語を使用しているとしたらわれわれの社会や生活はどうなっていたと思うかを自由英作として出題しています。英語のみが世界共通語となっていきつつある現状を問うような出題です。実際、東大は英語以外にドイツ語フランス語中国語でも受験を可能にしています。しかし、宇宙人から見れば、人間の体の構造上発声可能な音声を使っているという点では、地球人は一つの言語を話しているというように見えるだとうと私は思いますが、受験生であれば当然そのような解答は避けましょう。

環境については、1998年に環境保護の方法として環境税を課して市場原理によって環境を守る方法を提示した文章を出題、さらには2004年にはマダガスカルの環境保全について、環境保全をしながらも地域の人々の貧困を減らしていこうとする計画が述べられています。環境保護がテーマであるというよりは、ただ人間的営みを排除することによって環境を守ろうとするのではなく、環境を守ることが経済的利益となる方向を模索する環境経済学的なスタンスを提示しています。

そして東大独特の特徴としてはストーリーの出題の多さです。訳出問題でも多く出題され、描出話法に関係する箇所の訳出が圧倒的に多くなっています。描出話法とは登場人物の感情や言葉を引用符を使わず、地の文で表現することによって読者をストーリーの中に引きずり込もうとする手法です。この部分の出題が多いのは、物語への同化、共感能力を問うものだと考えられます。また、ストーリーが長文として出題される割合も非常に高く、その際には登場人物の感情を問う問題がかなり出題されています。これらは、人の感情を読み取り、共感することは大切だということを伝えているもののように思えます。勉強だけはできるが、他人への共感能力を欠くいわゆる世間で思われている「東大君」じゃあダメなんだよというメッセージに読み取れます。

もちろんすべての文章が近代合理主義的なものの批判というわけではなく、動物と人間のちがい(1986年、2000年)や記憶について(1993年、2004年)民主主義について(2006年)といったような出題もあります。人間と動物のちがいでは「人間独自の特徴は知識そのものを対象化できることである」という内容の要約、記憶については「記憶力は個々の事柄をばらばらに覚えるのではなく、対象の意味を理解し既存の知識の中に位置づけることによってずば抜けたものになる」という内容の要約が出ていて、いずれも単に知識を増やすだけではダメなのだ、という学習姿勢についての批判とも読み取れます。

今見てきたように東大の問題をたどってみると、受験生の英語力を現実的に判断しつつ、英語で情報を受け取り発信するという問題形式の中で、やはり何らかのメッセージを発しているように思えてくるのです。そして、私自身も、東大受験生にはそのメッセージを受け止めて東大生になってほしいなあ、と思っています。表面的な知識や技術に満足することなく、その根源から考え直してみること。目に見える偏差値という価値観ではなく他人を、そして自分をとらえようとすること。

「東大合格」がゴールではなく、それを出発点とできる奥行きのある東大生になってほしいと願っています。

プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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