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もう一度「身体で書くクリエイティブライティングワークショップ」

この日の総括がまだ終わりません。最後に書いた小説の書き出しは1万字を超えていて、よくあんな短時間にこんなに書けたものだと思いました。今丁寧にリライト中で、最終的には100枚を超える作品になりそうです。
それとは別にミュージックからのインプロビゼーションライティングはこんな感じでおこなわれました。
音楽を聴く、聞きながら思いつくイメージを書き始める。多分3分くらいで書ききるという課題。
テーマ曲は以下の一部、入り方が大分異なっていますが(ジムノぺデイ(エリックサティ)のメロディの前までが流れされた、と思う)
https://www.youtube.com/watch?v=abM7hAZ5BTc&list=RDp7nbwWNGcXQ&index=2
インプロビゼーションライティング
  僕が誕生したのは海の底だった。僕は音もなく光もほとんど届かない深海の一部だった。ある時かすかに太陽の光が届き始める。海水に熱が生じ、静止していた水が揺れ始める。ゆるやかな鼓動の始源。光が波の中で揺らめく。そのとき、生命が胎動し始めたのだ。僕の中に僕という意識が生じる。海底という空間を共有しているものたちの存在を感じる。波の韻律は、はじめは規則的に、やがて規則を逸し、ときに不協和音を交えながら変化していく。小さな泡がかすかにきらめきながら上昇していく。波に揺られながら僕も海面へと上昇していく。水温が上がっていくのを感じる。

なんでこういうイメージが浮かんだのは今となってはわかりませんが、音楽を聴きながらそれを文章に変換していくインプロビゼーションライティングは、自分が偶有性の媒介になったような感じで面白かったです。
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身体で書くライティングワークショップ

先に書いた「身体で書くライティング」のワークショップでは、次々と課題が出されそれに応じて短時間で書くというワークがあったのですが、その一つに子どもの頃書いたものを思い出して書いてみよう、という課題がありました。
45年から50年ほど前のことを一生懸命思い出そうとしましたが、昔の出来事は思い出しても自分が書いたものを思い出すのはなかなか困難でした。しかし、一つ思い出すと次々に記憶がよみがえってきました。
 そして思い出したものに一貫性があることに気づいて、思い出す回路が今につながるようになっているのか、本当に昔から今まで一貫しているのか、どうなのだろう、と思いました。
 思い出したのは、概して自然と人工、曲線と直線、無菌状態と汚れのようなことを書いた記憶でした。
 「部屋から見える景色を描こう」という学校の宿題に対して、私は自分の団地のすぐ目の前にある同じ形をした団地の絵を描きました。完全に無個性で無機質な直線だけの建物を定規でサイズを測り画用紙に余白なく正確に再現しました。ただし人が住んでいる気配などはすべて排除して。その絵は先生に怒られたのですが、なぜ怒られたのかいまだによくわかりません。色を塗らなかったからか、直線しかなかったからか、手を抜いたと思われたからか…
 同じモチーフで文章を書いたこともあります。10歳くらいの頃かな。
「人工的な直線だけの道路。直角の交差点。ぼくのからだは曲線なのに。」
「かぶと虫が40匹かえりました。虫と土のにおいがします。部屋の白い壁に土をぬりつけてみました。お母さんはそれをみて、そうなのね、とだけいいました。叱られると思っていたのに。ぞうきんで拭けともいわれなかったので、その壁には土のあとがずっと残っていました」 
「木から落ちました。血をなめたら金属の味がした。」
こんなことばかり書いていたわけではないと思いますが、こんなことを書いていたということばかり思い出しました。小学校の卒業文集でも(震災でなくなってしまいましたが)、
未来の人工的に漂白された町の姿を書いていました。白、直線、人工的な緑地、音のしない車などについて。山でウリ坊を追いかけて遭難するような子どもだったので、無菌状態の環境への嫌悪感が強かったのでしょう。
大人になってからは「直角に曲がれ、覚悟を決めて」(吉増剛造だったと思う)というような言葉に感動するようになりましたが、それは自らのぬるい現状への不満が強かったからなのだろうと思います。

身体で書くクリエイティブライティング

先日「身体で書くクリエイティブライティング」小野美由紀さん主催ワークショップに参加してきました。休憩を挟んで10時間に及ぶワークショップ。
午前は身体を使って、身体の動きによる閉塞感の解放、つまり、気を発散して巡りを良くする。次に他者の身体に触れ共調し、さらに協働する、つまり身体的コミュニケーションによる自我の解放。主観と客観の境界が溶解されるような動きによる他者との融合感覚、さらには個が集まって集合体を意識し全体に同化してみることによる個の環境への融和と環境との交通といったことを順に行いました。これによって自他の障壁への意識を減らし内外に流れを作ることによる動的平衡状態の実感が得られます。
午後は、絵、音楽から感じることを即興でストーリー化するなど脳を刺激する練習。さらにそれを互いに見せ合うことで自分の環世界への自覚と多様な環世界の存在の許容を促す。私は音を聞いた時に浮かぶ色のイメージが多様なのに驚きました。私は音と色のイメージはかなり数学的に結びついたものでありそれほど恣意的なものではないと思っていたからです。
最終的に内面を言語化し表出する実践へ。内面に様々なことを抱えている人たちがそれを身体的に言語化しようと格闘することで自らが浄化され、時に同じようなトラウマを抱え込むものをも浄化していくという現場に居合わせることができてよかった。書くという行為自体の癒し効果。実は私自身も「そもそも」で一度経験していました。自己表出による浄化、話すことでも音楽でもダンスでも可能なことなのでしょう。社会の中で生きているとそれだけで澱みのようなものがたまっていくものだから、時々浄化しておくほうがいいのだろうなあ。
プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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