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LITALICOフォーラムの感想 part1

LITALICO フォーラム「青年期から成人期の発達障害支援の現状と課題」に参加して
(2018年11月4日東京大学本郷キャンパス)
part1

午前中の熊谷晋一朗さん(東京大学先端科学研究センター准教授)による基調講演
「当事者視点から見る青年期以降の発達障害支援~そのケモノ道から学ぶもの」をベースに当日の感想などを書いてみます。

 なお、熊谷先生の話に私の社会認識、感想を加えながら書いているので、これは講演の要約ではなく、文責は私にあります。

まずは医学モデルと社会モデルのちがいについての説明がありました。
 医学モデルというのは、障害は当事者の内部の問題だとして、治療、リハビリを通じて、障碍者を健常者に近づけようというアプローチです。1970年代はこのアプローチしかなく、障害者は健常者に近づかなければ社会で生きていけないと考えられていました。脳性麻痺である熊谷先生自身も子供の時期に回復の見込みもないのに厳しいリハビリ訓練を続けさせられたと語っています。しかし、1980年代以降、社会モデル、つまり障害は障害者と社会の接合がうまくいかないことから生じるのだから、社会の側が変化することによって障害者が等身大のまま生きていけるようにできるはずだという考え方がでてきます。

 たとえば、科学技術の進歩によって障害者と社会との接合面をなめらかなものにすることは可能です。眼鏡やコンタクトレンズが簡単に手に入る現在では、近視を障害だと考えている人はいないでしょう。障害をテクノロジーの力によって障害でなくする、ということはある程度まで可能でしょう。

現代では医学自体も医学モデルアプローチをとっておらず、個人の可変性の限界と社会の可変性の現状を考慮しつつベストミックスを探るというアプローチになっています。
つまり両者の適合性を個人の中に障害があるのだからそれを治療して健常者に近づける、ということだけが解決法だとは考えられていないわけです。

しかし、日本の社会を見渡すといまだに医学モデル的考え方に基づく差別が横行しているように思われます。健常者ができることをできないくせに、というような発言も多々みられますし、社会の側、自分の側ではなく、障害者の側にのみ問題があるという考え方も敷衍しています。できれば接触したくない、関わりたくないという排除的姿勢をパブリックスペース(電車など)で見かけることも多いです。目に見える障害に対する差別に対しては健常者のマインドセットの改善が必要でしょう。おそらくそれには啓蒙活動よりもちょっとしたナッジが有効かと私は思います。具体的に有効なナッジを今思いついているわけではありませんが。
 
ところが自閉スペクトラム症のように目に見えにくい障害に対してマインドセットを変えることはさらに困難です。そのような症状がおこってしまうのだということを理解していないと、社会的コミュニケーションのとりづらさは相手の性格の問題で簡単に治せるはずだと思ってしまいがちだからです。

社会的コミュニケーションがうまくいかないことについては、障害を持つ少数派の側だけに責任を帰すのではなく、少数者と多数者のあいだに障害が起こっているのであり、それは行動の予測誤差への感度の問題としてとらえることによって、コミュニケーション障害の解消が可能になります。ここでも科学技術的アプローチは有効です。たとえば認知ミラーリングシステムによって、自閉症の人には環境がどう見えているか、を体験することができます。当事者が感じ取っている雑踏の音、光の刺激などを、VRを通じて体験すると環境に対する反応の違いを実感でき、当事者の感じ方を共有できます。他者(この場合当事者)が抱えている問題を知ることが、社会の中の一員として、みながそれぞれに自分らしく生きることの第一歩になるのです。 part2に続く
 
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プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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