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地震が続く中で(2)

昨日、書ききれなかったことを書き足します。今私たちは自らの価値観を考え直すチャンスなのだということです。日本人が集団としてすばらしい道徳観をもっていることは昨日述べました。もちろん被災地での盗難や暴行といった残念な例外もありますが・・・

今、自分にできることを考えてできることを責任をもって行動する。これも昨日書きました。当たり前のことですね。

世間では、過剰な責任感やヒロイズムを抱いたり、現場にいないものが現場にいないことで自責の念を抱いたり、あるいは行動しない人を非難したり、「不謹慎」という言葉で周囲の人の言動を規制しようとするものさえあります。たとえば感情にかられてボランティアに行って結果的に被災者に迷惑をかけてしまう。これらは一時的な情動に過ぎません。「いま、ここ」にいる偶然性を受け入れ、そこから何ができるかを冷静に長期的視野をもって模索していこう。

ここまでが昨日書いたことです。本当に当たり前のことばかりです。
そして集団的価値観形成へと昨日書いた部分について書き足します。

多くの立派な人々や企業が今、自分たちにできることをする、として被災者の救援や募金活動を行なっています。とてもすばらしいことです。しかし、ある一部の責任ある立場にいる人たちにはさらに考えていただきたいのです。幸い日常生活が破壊されなかった人は、日常をかみしめながらきちんと冷静に生活していく、だけではなく、そもそもその日常がどういう基盤の上に成り立っているのか、今、根本から考え直すべきことがあるのではないか、ということです。

たとえば東京は電力を東北地方に頼っています。昔「東京に原発を」という広瀬隆さんのベストセラーがありました。(昨日もテレビで広瀬隆さんが原発の危険性について語っておられました。)

「原発を東京に」は私が大学に入学したころの本です。広瀬さんの文体はやや断定調で、扇情的なので私には受け入れにくいのですが、彼の主張の一部には大いに共感しました。

リスクを地方におしつけることが政治という枠組みの中では正当化される、そしてリスクはゼロにはなりえない、そしてその基盤の上に東京の、日本の経済が成り立っているのだ、ということです。

自責の念を持てというつもりはありませんが、少なくとも今回の原発事故については、東京に住むものには加害者としての責任が伴うものと自覚してもよいかとは思います。(東京都の知事たるものが「天罰」というのは見当はずれも甚だしい・・・しつこいですね) 東京にいる自分が多数派である自覚と、多数派という力によって少数派に危険を押しつけているという自覚は必要かと思います。

そんなことはわかっているが仕方がない、自分たちにはどうしようもないことだ、と開き直る反応が予想されます。しかし、「仕方がない」「どうしようもない」という現状肯定の上に、自己利益のために他者を犠牲にすることは正当化できるのでしょうか?
そして本当に「どう」しようもないのでしょうか?

じゃあ、どうするのか、と問われても私に答えはありません。ただ今まで考えようとしてこなかったが実は知っているはずの当たり前のことを考えることは必要だと思うのです。即、行動にはつながり得ないにせよ、今一度原点に返って自分の立脚点を見直すことが必要だと思うのです。見て見ぬふりをするほうが楽ですし、自分にはどうしようもないことと割り切るほうが仕事はうまくいくでしょう。しかし居心地が悪くてもその居心地の悪さは解消してしまってはいけないのではないでしょうか

話を変えます。今、自動車事故で年間4000人あまりの人が命を失っています。2002年までは40年間以上毎年8000人以上の人命が失われてきました。事態は改善されてきているとはいえ、おそらく今年も3000人以上の命が失われることでしょう。自動車が禁止されればこの死者数はゼロになります。あるいは制限速度を極度に下げれば死者は相当数減ります。それがわかっていてもそうしないのは、不特定な3000の命は自動車による経済的利益よりも軽い、3000人の命は他の多くの人の生活を楽にするための必要経費だ、という計算が成立していることを意味します。自動車を禁止しろといっているのではありません。それが基盤であり、それを是認した上に現在の繁栄が成立しているのだという認識(居心地の悪さ)を見失ってはいけないのではないか、と言っているだけです。

自動車と違って原発の場合は、真っ先に被害者となる可能性があるのが、東京の人間にとっては、自分も含めた不特定の人間ではなく、自分を除いた不特定の人間だということになります。電力を得るのは東京、リスクを負うのは東北、そのアンバランスは政治と経済の力によって解消されたことにしてしまっている。沖縄の基地の問題にも似た構図は見られます。もちろん世界のレベルで考えても同様です。

私が言いたいのは、経済発展という大義名分のもとでこれらが正当化されたままでいいのか、ということです。今、日本の経済復興が叫ばれていますが、違う形での経済のあり方を模索することも考えてもいいのではないかと思います。もちろん家を失った人が家を建て直すという復興は必要です。しかし、今までの、合理性の高いものが最大の利益を得るというような目先の利潤追求型のモデルから、万人にとっての利益(なんてありえないと今までの歴史は語っていますが)追求型のモデル、つまり、自分の利益が他者の利益と結び付いていることをベースに、そのつながりをより大きな領域で共有することで、他者の利益が自分の利益につながってくるようなモデル、へと変換していく道を模索できないか、ということです。

他人がニコニコすれば自分もうれしいじゃないですか、当たり前の感情です

今、日本はつながることができるチャンスだと思います。災害の中で世界が賛辞する資質を発揮できている日本人です。
また、せっかく経済成長のみが国民の幸福ではない、ということを実感する状況にいるのですから。

うまくまとめられませんでしたが、それは私の力不足です。しかし今伝えたかったことです。伝えようとしている感情を受け取ってくれる人がいれば幸いです。
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プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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