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無駄を排除する危険性

一見ムダに見えるものがいかに大切であるか、という話をしようと思います。今の時代には、ムダを切り詰め、効率的に物事を運ぶことが重要視されています。もちろん効率はある程度までは重要なことですが、効率重視が行き過ぎると危険なものになりかねません。

なんでもかんでも効率的に「仕分け」てしまうと、同時に大切なものも切り捨ててしまうことになりがちです。

たとえば、文化や芸術に効率を持ちこみすぎるとその本質を失うことにもなりかねません。たとえば、いちいち座って襖を開けることは非効率的ですが、料亭の御座敷で食事をしているときに立ったまま襖をあけて仲居さんが入ってこようものなら(もちろんそんなことは起こりませんが)せっかくの食事が台無しです。文化とは一見不合理なものです。その中に合理性を見出して文化というものの奥深さに感動することもよくあります。

宗教というものが効率で割り切れるものではないというのは当然のことですが、明治末期には官僚的合理主義によって神社合祀が行われました。神社合祀とは、神社の合併政策のことで、複数の神社の祭神を一つの神社に合祀させるか、もしくは一つの神社の境内社にまとめてその他の神社を廃することによって、神社の数を減らすというものです。そうして、神社の数を減らし残った神社に経費を集中させることで経済的効率化を図ったのです。南方熊楠はこれに徹底反対しました。(南方熊楠コレクション〈5〉森の思想 (河出文庫)お薦めです) 神社をつぶすことで鎮守の森の生物がいなくなってしまうのは大いなる損失だと訴えたのです。熊野古道が今世界遺産として残っているのは彼のおかげもあったといえるでしょう。代々自分たちが祈ってきた神社や森が合理的経済政策でつぶされてしまうというのは人の心を踏みにじる行為だといえるでしょう。

南方熊楠コレクション〈5〉森の思想 (河出文庫)南方熊楠コレクション〈5〉森の思想 (河出文庫)
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あるいは科学についても同様です。現在、すぐに役に立つか否かで研究費の額を決めてしまおうとする風潮がありますが、いざという時に、今まで経済的観点からはムダに見えていたような研究が突如、不可欠なものになることも多々あります。たとえば、狂牛病が起こったときにそれまでごく一部の研究者しか行っていなかったブリオンの基礎研究が重要なものとなったように。また、現在のように実用的な科学研究にばかり目が向き、即効性がないように見える基礎研究がないがしろにされてしまうのは科学の発展を妨げることになってしまいます。

いわゆる頭のいい人は無駄を嫌います。しかし頭の悪いとされる人が無駄に見える営みを続ける中で得るものもあるのです。

それについて寺田寅彦の言葉を引用しておきましょう。さすがに素晴らしいお言葉です。

「頭の悪い人は、頭のいい人が考えて、はじめからだめにきまっているような試みを、一生懸命につづけている。やっと、それがだめとわかるころには、しかしたいてい何かしらだめでない他のものの糸口を取り上げている。そうしてそれは、そのはじめからだめな試みをあえてしなかった人には決して手に触れる機会のないような糸口である場合も少なくない。自然は書卓の前で手をつかねて空中に絵を描いている人からは逃げ出して、自然のまん中へ赤裸で飛び込んで来る人にのみその神秘の扉を開いて見せるからである。」

そういうわけで、文化や宗教や科学において、合理性のみが重視されムダに見えるものをできる限り、削り落そうとするのは危険なことです。この傾向は社会全体に及び、ムダなものとして、合理主義的に切り捨てられたものが現代という時代の病としてあふれ出ているように思えます。

今、日本にとって大問題である原発の問題も、事故の原因の一つは効率性重視で、費用対効果の悪い非常時への対策を切り捨ててきたことでしょう。村上春樹氏もバルセロナの授賞式で効率ばかり求めてきた日本が、広島の反省を生かしえなかったことについて述べておられました。もちろん原発の問題はアメリカとの関係性や、一部の人の利権の問題が絡んでいたことはいうまでもありませんし、そもそも原発を実用化することが正しい選択であったのかどうかという問題もありますが…

さらに、効率を重視しすぎるとかえって非効率になってしまうということは多いのです。受験においてもムダを切り詰めようというまじめさが頭脳の貧困を生み、勉強をかえって効率的でなくしてしまうことがとても多いのです。試験に出ることだけを覚えようとするよりはその周辺もふくめてより大きな枠から理解しようとする人の方が学力も伸びるものです。予備校でも知的な雑談を楽しむ生徒のほうが、試験に出ることしかやらないという生徒よりも成績が伸びるということは経験的に確信できます。

「人間は生まれながらに知ることを欲している」(アリストテレス「形而上学」)
なんであれ、知って楽しいと思うことが脳のキャパシティーを大きくするのです。脳のキャパシティーを広げたほうがキャパシティーを限定してしまうよりも有利だということですね。いろいろなことに好奇心を持って、脳のキャパシティーを広げたほうが、限定された領域に対しても結局は有利なのだということです。

ムダは、ノイズと言い換えてもよいでしょう。AならばB BならばCというような線形の論理から零れ落ちた部分ですね。

私が初めてノイズの重要性を実感したのは、LPがCDに変わったときです。LPレコードに慣れていた耳にとってはCDは衝撃的でした。CDでは人間には聞こえないからという理由で20キロヘルツ以上の高周波と低周波をカットしてクリアな音を作ったのですが、初めて聴いたときには本当に驚きました。ギターを聴いても音程ではなくどの弦で音を出しているかがわかる。しかし、同時にCDで50年代から70年代のジャズを聴くと音楽がまったく命を失ってしまっているということにも驚きました。非常に大切なものがなくなってしまったようなのです。カットされた部分は人間の耳では聞こえないとされているのですが、やはり感じ取っていたのですね。犬が聞き取っている高周波も象が会話している超低周波(ライアル・ワトソン「エレファントム」お奨めです)も私たちには聞こえませんが、世界は豊かな音で満たされています。ノイズをカットすることで豊かさが失われることもあるのです。最近ではあえてノイズを入れたCD作成も行われています。目に見えないものを無意識に感じ取っているというのはサブリミナルの話ではよく耳にしますが、音についてもやはりそうなのですね。その他のことについても、おそらく…

たとえば、アリの世界を考えてみましょう。なんで突然アリなのだ、などと考えてはいけません。なにしろノイズの話なのですから。本当はタマホコリカビの話をしようと思ったのですが、さすがにそれでは咄嗟にイメージできない人も多いでしょうから、まずは誰もがイメージできるアリの話、ということで…

アリは、日本にはおよそ260種類くらいいるのですが、すごい技をもっている種もいます。アリは農耕をしたり、牧畜をしたり、戦争をしたり、そして奴隷を使ったりもします。そういう点では他の哺乳類よりも人間に近い営みを行っているということもできるでしょう。
(ここでの話とはまったく関係ありませんがフランスの鬼才ベルナールウエルベルの「蟻」(角川文庫)とても面白いですよ。ストーリー展開と関係なく挿入される「相対的かつ絶対的知識のエンサイクロペディア」という挿話がまた面白い。「集団で行動する」ことによって、つまり社会組織をつくることによって弱いアリの祖先は生き残ってきたということが様々な知識とともに語られていきます。)

さて、アリはコロニーを作って生活していますが、その中での役割はきちんと分化されていて、女王アリは女王アリの役割、オスはオスの役割(交尾のみ)、働きアリは働きアリの役割を果たしています。

コロニ―の中で働きアリは8割の働く者と2割の働かないもので構成されているようなのです。実験として、働く8割だけ、働かない2割だけでコロニ―を形成すると、やはり2割は働かないようなのです。働かない2割の存在がコロニ―には必要なようなのです。このあたり詳しく知りたい人は「働かないアリに意義がある」(長谷川英祐)を読んでみると楽しめると思います。

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要するに、アリも生物である以上、ある程度以上活動すると疲れてしまう。皆で働き、コロニ―全体が疲れてしまうとコロニ―は存続できなくなる。そこで働かないアリがある一定数いることが必要になる、というわけです。もちろん彼らは状況的にスイッチが入ると働きはじめます。皆がいっせいに働いてしまわないことでコロニ―は維持されるということなわけです。働きたくなくて働かないのではなく、その状況でないから働かないのですね。

なにやら「ものぐさ太郎」の話を思い出します。ものぐさ太郎に食事を与えるようにと命令した地頭は大したものですね。立ちあがるのも面倒くさいというものぐさ太郎が見事に役立つというのは人間社会でもあり得ることなのでしょう。

もちろん、アリの世界にも社会への義務を果たさず社会からの恩恵を受けようとするフリーライダーはいます。しかしフリーライダーがある一定数以上になるとコロニ―は破壊されてしまい、またフリーライダーを一定数におさえた新しいコロニ―が出来上がります。今、日本では、働く力があるのに、「自分にあった仕事がない」とか「働いても得はしない」とか言って、生活保護によって生活している人たちがたくさんいます。13万円の保護費のほとんどを携帯のゲーム代に使っていると堂々と言い放つ若者も報道されていました。危機的状況にある今こそ「働かないものが働く」スイッチが入っている状況なのだと感じとってほしいものです。

アリの話を続けましょう。餌をさがす経路となるとこれは実に面白いのです。まずエサを発見したアリはえさを巣に運ぶ。このときフェロモンという揮発性の物質を出します。それはにおいで仲間を識別したりひきつけたりする物質です。そしてそのフェロモンが場所と時間のてがかりとなって、ほかのアリも食料への経路を見つけいわゆるアリの行列になるわけです。ここまでは面白くもなんともありません。しかし、です。集団には変なものがいて、勝手に変な方向に動き回ってしまうのです。なんだかいつも間違えてしまう困ったアリ君です。空気が読めないやつなのでしょう。しかしふらふらしている結果たまたまエサと巣の最短経路を見つけてしまうことがあります。フェロモンは揮発性なのでだから、徐々に消えていくのですが、経過時間の短いフェロモンが一番強く残るのでほかのアリは新しい最短経路に従う、ということになるわけです。初めにみつけたアリがたどった経路は最短とはかぎらないのですが、普通のアリたちはそれにしたがってその経路を使うことになるのに、なんとなくフラフラしている困ったアリ君が新たな最短経路を発見してコロニ―に貢献するというわけです。

社会のノイズのような存在になりたいものです。なんだかフラフラしてたら役立っちゃったな、テヘ、みたいな…これは意識的になれるものではないのでしょうが。ともかくも、ノイズが大きすぎると社会は破綻し、ノイズを排除しすぎると社会は豊かさを失うものなのです。

今、社会はノイズを排除する方向に向かっています。そして同時に様々な豊かさを失いつつあります。しかし一見無用に見えるものが無用ではない可能性をはらんでいること、さまざまなものが交響して全体としての生をなしているのだということは忘れてはいけないと思います。。そしてそういうものを切り捨てたとき、生命のもつ豊かさが切り捨てられ、断片化された可塑性をもたないものとしての人間に、社会に、なりはててしまうのだと思います。耳に聞こえる音を感じる力、目に見えぬものを感じる力、無駄に見えるものを包容する力こそが現代に必要な力なのだと思います。いつもながらに「当たり前のこと」ですが…

最後にマザーテレサの言葉を。
「ふれあいとほほえみを忘れた人がいます。これは大きな貧困です」



追記
 ブログの感想いただいた中に「炭鉱で面白い話をして場を和ませる「スカブラ」の話を思い出しました。仕事をしないのに、その人がいないと効率が下がる、という…興味深いです。」というコメントがありました。よい話です。本川達雄「生物学的文明論」の中に、沖縄の漁師のエピソードがあります。ゆったりと時間が流れる沖縄で、漁師が泡盛を飲んでいる。彼がぽつんという。「借金をしていい船を買えば儲かるのはわかっている。でも、そんなことをしたら、こうして夜飲む泡盛の味がまずくなる」。うーん、うまい酒飲みたいですねえ。
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プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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