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ツイート集2011年5月

5月5日
吉野屋の前を歩いていると広告がはってあった。「さらなる旨さへ」ふーんと思うと同じ紙に「100年変わらない旨さを」変わるの変わらないの? 私には読み取れないんだけど。

(コメント)これは妙に反応が多かった。未だに変わるのか変わらないのか不明

5月6日
「議論は、それによって自分の意見が変わる可能性を認めているもの同士じゃないとする価値はない。自分の意見を相手に押し付け相手を言葉で打ち負かそうとする人はそもそも議論を始めないほうがいいだろう。」と言ったらキレられた。「キレると頭回らなくなるからにこにこしよう」と提案したらまたキレられた。
だのに、「また会おう」ってしつこい。「議論しないならね」、と言っておいたが、議論好きはまた議論しかけてくるのだろう。私は議論てあまり好きじゃないんだけど・・・困ったおじさんだ。また会うのかなあ。世間ではエライ人なんだけど・・このツイート読んでくれないかなあ。読んだらまたキレるか。ムズイ。

(コメント)本当はそもそも議論というもの自体に意味がないんじゃないかと思っている。議論して何か得られたことある?人の意見を聞くのはいいことだが、議論しても仕方ないと思う。議論するという行為に熱中したいならば、そういう人同士でやればいいのに…

5月8日
佐藤健作の太鼓久しぶりに聞いた。軽井沢でやってくれてありがとう。体で感じる体験をさせてくれる芸術は今とても少なくなってしまったので貴重な体験だった。

(コメント)この後、陸前高田で彼が演奏するのを学生たちと見に行くことになる。
http://kyoji111.blog40.fc2.com/blog-date-201105.html

5月9日
岡潔「自分に不利なことや未知なことをすぐに「わからない」と言って切って捨ててしまうことになる。これは自己保身のためなのだが、本人はそうとは気づかない。こういう少年少女をつくったら、この国はおしまいだ。」大人も!
予備校生は本質を切り捨てた単純化したわかりやすさを求めがちだが。

一見近道に見える道こそ罠で一見遠回りに見える道こそ最短経路であることも多い。初めは苦しいものだ。しかしそれでこそ得られる喜びも大きい。易きに逃げずに頑張ろう。
「狭き門より入れ。滅びに至る門は大きくその道は広い。」旧約聖書より。

(コメント)生徒にウケル授業が求められているとのリプライ。確かに予備校では生徒アンケートなるものがあり、生徒が講師を評価する。私はいつも評価が異常に低い。口頭説明が多いと苦情を言う学生までいて驚く。説明を聞いて自分でノートをとるというのは当然のことなのだが、黒板を写したがる生徒もいる。自らを奴隷化したいのか!
ということで私のリプライ

しかし生徒にうける授業は合格させられないとしたら?単純化したわかりやすさは生徒にはうけるがその場限りのものにしかならず、応用はきかない。つまり抽象化しないと意味がないのだが、抽象化するには頭を使うことが必要になるからそういう授業は避けられやすい。

(コメント)するとパターン化したほうが能率的だというリプライ。それはそうなのだが… 次の日にはこうツイートした。

ネイティブアメリカンは 物事をゆっくりやればやるほどその時間は充実する と言う。現代社会では難しいがね。

5月17日
殺人焼き肉屋についてはもちろんひどいものだと思うんだけど、生肉を子供や老人に食べさせる人(犠牲者を責めると世間が怖いなあ)も、生肉はヤバいものだ、胃の環境が整っていて初めて食せるものだ、という認識がそもそもなかったのかと思う。要するに世間の常識が消えうせていることも一因かと・・・

(コメント)店で生肉を食して子どもが死んだという事件についてのコメント。私たちはノビルとハシリドコロを区別できないと、あるいは毒があるキノコかどうか区別できないと痛い目にあうと思っているのだが、子どもが生肉を食べていいかくらい親が判断できるべきなのではないか、と思う。もちろん店側の責任は重大だが…そうして次のようにツイートした。

そういえば、学生の時「河原町のジュリー」という有名なホームレスに1週間ほどつきまとっていたことがある。彼に続いてゴミ箱の弁当を拾って食べようとしたら、取り上げられて、「それはあかん。素人さんは腹こわすで」と言われた。うまそうに食べる彼がうらめしかったが、彼は正しかったのだろう

(コメント)河原町のジュリーはとても有名だったらしく彼のことを語るリプライが多かった。確かに「京都新聞」で「ジュリー髪を切る」という見出しをみたことがある。

5月18日
そりゃあ品格ない人の品格本がはやると品格本を出す女性の品格のなさや、物とこだわりを捨てることを薦める人が、商標登録をとってでも金儲けしたい浅ましさが世間には受けるのだろうけど、釈然としないものは残る。

(コメント)新書は題をあらかじめ決めてから書き手を探すものもあるそうです。
「~の品格」とかねえ。それを引き受けるのは品格がないと思うなあ。


5月20日
受験生にツイッターは時間を減らすように言うと息抜きは必要ですと言われた。確かに必要なのだが息抜きが必要なほど勉強している人ではなかった。易き道へ自己正当化しながら流れていく。癒しが必要でないレベルのものまで癒しを求めて自分を弛緩させている。

(コメント)「癒し」が必要な人が多くいるのは認めるが、「癒し」といいつつ自己を甘やかすことを正当化しようとするものも多い。

5月21日
work&rest 集中と解放 両者のバランスが大切。ずっと息抜きみたいな生き方しているように見える受験生は多い。ぬるいんだな。自らを瀬戸際においてみると限界ラインが変わってくるのに・・・ときにはギリギリを経験してみるとよいと思うよ。


5月23日
感じる力を枯渇させた人々が生半可な知識を振りかざして様々なことを論じてるのは 滑稽でさえあるが 当人たちは立派な論を展開していると信じているのだね。感じる力を大切にしたいものだ。


5月25日
たてはな 川瀬敏郎「わたしの花は即興です。立ち止まって考えると、花は死ぬ。まして、いじくり回すことは禁物ですべて一発勝負です」格好よすぎる。いけ花見たい!

(コメント)川瀬敏郎は「芸術新潮」で連載していました。感じることを教えてくれる。花をきれいに活け終わったら、惜しげもなくたちまちにしてそれを崩して違う形にしていく、完成形をその場に留めるのではなく、次の形へと向かっていく。パトナ・レイ「万物は流転する」

5月24日
私へのツイート

はじめまして。 先生の『浪人できているという環境は世界的に見れば希有なことだ』という話には刺激を受けました。

(コメント)人は自分が恵まれていることにはなかなか思い至らず、愚痴や文句を言ってしまうものなのですね。

5月25日
「生意気ですみません」というツイートへの返信

ある種の生意気さというかambitionを持つ若者は大歓迎です。昔合格報告に来た生徒に「先生、生き方間違えてます。」と言われてニコニコしちゃったことを思い出したよ。
京大に合格したその生徒は「先生は予備校にいるべきではない。広い世界に出て下さい」というようなことを言った。彼の京大合格にはかなり予備校講師としての私も貢献したんだが…面白い生徒だったよ。今も時々連絡はくるが…

(コメント)彼の発言には本当に驚いたしうれしくなったなあ。堂々とこんなこと言い放つ生徒はなかなかいない。

5月28日
新緑の頃、木々が枝を伸ばし緑のトンネルのようになる道がある。今日は曇ってはいたが、オープンカーで緑のトンネルをゆっくり走ったら頭がすっきりした。排気ガスを出しながら言えることではないのだろうけど、緑の風を感じた。ふと、緑の光線、という言葉を思い出した。昔好きだったロメールの映画。

(コメント)やはり東京を離れている時間は私には不可欠なようです。

5月28日
「先生は穏やかになった」というコメントに対してのリプライ

それはよかった。穏やかになったのは、今まで機関銃をむき出しに構えて生きてたが、それを捨ててしまい、いざとなれば核兵器を持ち出せるから、小銃で撃ってくる相手は放っておける、というような余裕を持てるようになったってことで、結局やはり過激なのかもしれない。

(コメント)字数内に収めるのにとても苦労している苦しい文章だ。しかし、昔の「ポレポレ英文読解」の著者紹介の頃の写真は今見ても鞘を捨てて刀を構えているような顔だった。このブログにあります。http://kyoji111.blog40.fc2.com/category0-1.html

5月27日
男性には正しいプライドを持ってもらいたいものだねえ。せこいプライドは放り捨て、命より大切なことがある、と背筋を伸ばして言い切れる矜持くらいは持っていたいものだ。

(コメント)「命が一番大切」なんざ誰が言ったんだ!命を粗末にするわけではないが…

5月31日
国家斉唱起立合憲。くだらぬ裁判! 学校が社会化の場である以上理不尽にみえても形式的に従うことを教える役目がある。戦いたければ形式的に従いつつも戦う手段を自分で模索していくことを教えるのが教師だろう、少なくとも今の時代には。右翼であれ左翼であれ子どもはきちんと育てて欲しい。
反対ならば自分が何故反対かを子どもに語りつつも、意に反していても起立する必要がある場合があることをも語るか、職を失っても信念を貫き潔く辞める姿を見せるか。闘う気持ちは理解可能なものだが学校で子どもに見せるものじゃないだろう。

(コメント)ルールを教えるのが教育だろう、ってことですね。「自由に」「のびのび」「個性を尊重して」とかバカじゃないのかねえ。

5月31日
時代に迎合するつもりはないが、変化を拒んでいると風化してしまうしね。有効な道具は使う、いつの間にか自分が使われてしまわないように。20年ほど言っているのは「踊らされるな、自ら踊れ」 まだまだ踊らせていただきます。

(コメント)「時代に合うように」と、自分を成型しきったら、時代が変化するといらない部品になり果てるよ、ってことですね。「時代」をつくるくらいのつもりでなきゃ。

5月31日
おそるおそる京大の添削を持ってきた生徒との会話。
「京大行くんでしょ」「できれば・・・」
「行く、と言え」「見栄はるのは・・・」
「見栄をはるのではない、見得を切るのだ。京大に~、ここでどんと右足を出す、いきます、ここで目をつりあげる、手伝っておくんなさい、こうだ、やってみろ」

彼はなかなか見事に見得をきり、「よし」とほめたら「ありがとうございました」と堂々と頭をさげ、去って行った。あれ、添削は?・・・しまった、あきれられたか、と思っていると、次の日にどんと10年分持ってきた。去年の夏の京大英語。そいつは合格したよ。自信なさげな若年男子へ、見得を切れ
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プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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