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ツイート集2011年6月

2日
国会で寝ている議員とゲームをしている議員の名前はさらしてほしい。そういう人を選んでしまった有権者のために。茶番の端役とはいえまともに演じてほしい

そもそも国会議員の座り方が醜すぎる。子どもに見せられたものではないだろう。背筋がだらしなく曲がり、腰が入らず抜けきっている。あれじゃあ腹も座らない。背もたれにある一定上の力がかかると電気ショックを与える仕組みの椅子に座らせたい。公の場で国の代表者として座っている気構えがない。

躾とは身を美しくする、と書くのだ。美しいものを見せねば躾にならない。国の代表があんなに醜い姿でどうする!座り方、話し方からやり直してほしい。体は心を表す。

体は自然のままじゃだめで教育することによって作られ、きちんと作られた体は自然を知るのだと思う。きちんとした姿勢はとても合理性が高い。

今日数えてみたが、予備校生でもまあまあきちんとした姿勢で椅子に座って授業を受けている生徒が3割くらいはいた。

オクスフォード留学が決まった生徒からのメール。空手をやってきた少年だが、留学前にお茶を習い始め「一期一会の精神を貫くためにすべての所作が合理化され、「精神性のための合理性」が結晶化されているのを感じます。」と言っている。

(しつけをきちんとできる大人がいないというコメントに)
ただ因習や伝統にすがりつこうとする、あるいは強要する脆弱な大人はいかんと思うが、 人に姿勢をきちんと教えられる大人は必要だと思う。確かにそういう大人が減ってますね。残念なことです。

(コメント)議員に対して、かなり怒っているが、それとは別に本当に姿勢は大切だと思う。たとえば、肩が前にいき、猫背気味になると、まず深い呼吸ができない、だから全身に酸素がいきわたらない、するとイライラしやすくなるしじっくり思考する力が失われる、というように姿勢と人格に相関関係が生じることもあるのです。そして、集団単位で見ると姿勢と学力には相関関係もあるように思います。
 しかし、眠っていた議員に対する怒りは収まらないようで、さらに二日後にはこんなツイートも。

「こないだ国会中に寝ている議員に腹立ててたら、寝るのは確信犯のようだった。議員宿舎はラブホテル、国会は酒酔いを醒ますための昼寝場所と決めている人もいたのだ。「政治に誇りと信頼を取り戻す」というのがキャッチフレーズの人なのに。政治家の世襲と財産相続はすべて禁止にするといいのかもしれない。」

5日
私も「なんでもたやすく手に入るという近頃の風潮が、どれほど私たちの人間をゆがめ、冷酷にしているかわからない」(「日本のたくみ」)という部分には全く共感した。

(コメント)白洲正子の「日本のたくみ」についてのやりとりで。昔はよかった、などと結論付けるつもりはないが、便利さと引き換えに失ったものは大きいのかもしれない。「豊かさ」とは何かをしみじみ考えてしまう。

6日
Indignez vousをやっと読んだ。去年フランスで100万部売れた32ページの薄い本。「怒りなさい」93歳の人が若者にもっと怒れと呼びかけている。怒るだけでは何も生まれないとは思うが、「怒り」を表現できない日本の若者へ。バカな大人達に飼いならされるな!

(コメント)日本の政府を見ていると怒る気力さえ失せそうになるが、妙に幸福そうな若者たちを見ているのも居心地が悪い。まあ、「怒りは自分に盛る毒である」(ホピ族)、「怒りは敵と思え」(徳川家康の遺訓)、などと怒りを戒める諺も多いのだが、怒りのエネルギーを理性的行動に向けることも可能かとは思う。

7日
基本的にエネルギー値が低いように見える若者たちに、「近頃の若者は」などというぼやきのような批判をするのではなく、怒りの表現の仕方を様々に提示することも必要なのかもしれません。きっと内面には大きなエネルギーをもっているはずと信じています。

(コメント)そのエネルギーの使い方が見いだせないまま、欲求不満を抱えている若者は多いのではないか、と思う。自分にもいろいろなことができるのだという具体的な可能性を提示することで、エネルギーは解放されるのではないかと思います。若者のエネルギー値そのものが低くなってしまっているのならばそれは国の存亡に関わる問題かもしれませんが…

10日
明日から頑張ろうって言う人は… 大学に入ったら頑張ろうと思い次は社会人になったら、次は結婚したら、更に子供ができたら、子供が独立したら、定年になったら、と先送りをし続ける。結局「あの世に行ったら頑張ろう」にしかたどりつかない。今、頑張れよ!結果は未来にしか生じないが。

(コメント)
carpe diem. 「今日をつかめ」 ソローは英語でseize the day という本を書いた。ブッダは「過去に生きるな、未来を夢見るな。今の瞬間に集中しなさい」と言った。大切なことは昔から変わらない。「明日こそは」などといいながら「今日」をなげやりにし続けるものに素晴らしい明日は来ない。

12日
・・人は他者を測る言葉で測られる。批判対象に向けた言葉はみずからに跳ね返る。また、人は文なり。自戒の念もこめて・・・私の場合、人間が未熟なので、人を批判した後で、自分にその要素が本当にまったくないのかよくよく考えてみると、自分にもなんらかの形で当てはまるなあ、と反省することが多いので・・・

(コメント)口汚く人をののしる人は、その文体によって既に人を批判する資格を失っていると思う。しかし、自分も他者を批判するときには呼吸と思考が浅くなっているようだ。いざという時に深呼吸し気を腹に落とすことはとても大切だ。
 原発反対、TPP反対を唱える人たちについても、同様のことをこうツイートしている。(私自身はどちらにも反対のスタンスだが)

立ちあがるべき時に勇気をもって立ちあがるのは大切なんだけど、その時大声で叫ぶNOの何分の一かは、これまで楽をしてきた自分に向ける批判であってもいいんじゃないか。私は声高に語ったり語られたりするのが苦手なだけで、頑張ってる人を否定するつもりはありませんが…

「面白い人と出会わない」と言う学生に、

刺激を受ける人間はいた方がいい。それはどの世界でも偏在しているようだ。しかし必死で走ればそして鋭敏に研ぎ澄ませば出会える、あるいは出会いに気づくようだ。一人に出会えればあとは広がる。

(コメント)人は時間的にも空間的にも偏在しているというのは、昔からの実感で、ある時代には強烈な個性が集まり、ある時代にはそうではないとか、ある特定の場所に行くと面白い人が続々と表れるが、そうでない場所ではみなが自分にとって興味の持てる人ではないとかいうことだ。今はソーシャルネットワークを活用すれば刺激を受ける人のたまり場は見つけやすいし、繋がりを持つことも困難ではない時代だ。

16日
あるシステムの中で如何にうまくやるかばかり考えている人は システムそのものを変革しようとは思えないのだろう。自分の予測せぬ方向にシステムが変われば既成のシステムに合うように自己を成型しきることに成功した者ほど自分は不必要な部品に成り代わるのに。しなやかさを失うと危ないよ。

芯がなく柔らかいのは柔軟性とは言わないので、しなやかに揺れながら変化しながらもぶれない軸を自ら作ることが重要だろうと思うよ。

(コメント)社会の歯車になるな、ってこと。今さらながら…しなやかさは水分を失わないことから生じる。乾いてしまわぬように!

24日
どうにもこうにも野暮な奴が多いなあとウンザリして九鬼の「いきの構造」を新幹線でよみかえしている。失われつつある日本人の感受性。

ついでに「いきの構造」は青空文庫でただで読めます。「いきの構造を読む」のほうが入門的ではあります。粋、息、意気、生き、と無、諦念を見事に結びつけ、恋愛の粋について語りつつ自らの論理性以上に実践(京大教授が芸者にいれあげ、再婚…時代も考慮すると…)していく生き方で粋を体現した。

(コメント)ある時代の日本人は本当に素晴らしいと思う。

「逝きし世の面影」と言う本では江戸末期から明治初期の日本を外国人がどう見たか、が描かれています。もちろん当時の外国人の視点ですからオリエンタリズムに感動しているということはあるにせよ、そこに記されている当時の日本人の美意識や親切心、礼儀正しさ、さらに幸福度についての記述は、今の日本人が読むと「これってどこの国の話?」と思うだろう。

「これ以上幸せそうな人びとはどこを探しても見つからない。喋り笑いながら彼らは行く。人夫は担いだ荷のバランスをとりながら、鼻歌をうたいつつ進む。遠くでも近くでも、「おはよう」「おはようございます」とか、「さよなら」「さよなら」というきれいな挨拶が空気をみたす。」とか「誰の顔にも陽気な性格の特徴である幸福感、満足感、そして機嫌のよさがありありと現れていて、その場所の雰囲気にぴったりと融けあう。彼らは何か目新しく素敵な眺めに出会うか、森や野原で物珍しいものを見つけてじっと感心して眺めている時以外は、絶えず喋り続け、笑いこけている」とか…

25日
信濃美術館・大原美術館コレクション。人もまばらで絵と間近にじっくり対峙できた。ジャンルイフォラン「舞台裏」美しかった。熊谷守一の「陽の死んだ日」もぎりぎり近くでじっくり見られた。4才で死んだ息子の死に顔、30分ほどで描いたという。息子への思いと自分への怒りが一気に炸裂している。

それから隣接する東山魁夷館。今回は北欧が中心。「夕星」に久しぶりに再会。魁夷最後の作品。手頃な複製があったので購入。書斎にかける。平野遼「青い孤独」(これは本物)は今の気分には合わないのでしばらく休憩。書斎には祖父が友人の小磯良平にもらった神戸のスケッチと魁夷がかけられることとなった。妙に落ち着く。

ついでに、善光寺にも行き,戒壇めぐりをした。狭い中を少し歩くだけなのだが、そこには完全な闇がある。二回歩いてみたが、二回目は目を閉じてみた。目を開けているから闇が不安なのだ、と思ったのだが、普段は目を閉じていても光を感じているのだとわかった。完全な闇はときに経験する必要がある。

闇の中で目を凝らす経験は大切なことだと思う。そして目を閉じていても光を実感し、目を開けていても闇を実感できる感受性も必要だと思う。そして光を体感する瞬間、世界は豊饒な音楽になる。

(コメント)少し酔っていたのかなあ。何かを購入するとハイになってしまうのかも。
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プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

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