FC2ブログ

生きることは殺すこと

生きることは殺すこと、この自明の原点が見失われてしまっています。自分の命が他の生き物の命の犠牲の上に成り立っている、ということは概念としては理解していても実感する機会が失われてしまったからでしょう。

客が来たから鶏をつぶしてご馳走しよう、などという光景は都会では日常的に目にすることはありません。フライドチキンをそれが生き物であったということさえ自覚しないままに食べている子どもも多いようです。

様々な議論を引き起こした「ザ・コーブ」という映画ではイルカを殺すのが残酷だという視点がセンセーショナルな映像とかなり多くのやらせ撮影で描き出されていますが、残酷さという一面だけ取り上げるならば、牛や豚を殺すのも同等のことと言えるでしょう。自然保護という観点でみると別の問題だということになりますが、残酷さに過敏に反応して感情的にイルカ漁を非難するとすれば、それはただ自分の日常生活に対して無自覚だからだと言えるでしょう。

では、菜食主義ならばどうなのか、と言われるかもしれませんが、植物とて生き物、赤い血液は流さないにせよ、命あるものであることには変わりありません。アスパラガスなどの立ち野菜は、収穫してから寝かせておくと立ち上がろうとしてエネルギーを使ってしまい味がどんどん落ちていきますよね。収穫された後でも生きようとしていることがよくわかります。(採ったアスパラは立てたまま出荷し立てたまま売ってほしいのですが、なかなかそうもいかないようです。)

残酷と思おうが思うまいが、ベジタリアンであろうがなかろうが、いずれにせよ、命は他の命を犠牲にして成り立っているのです。この原点に無自覚になると「命」というものが実感できなくなってしまいかねません。生きていることの重みを感じることもなくなるでしょう。

スライスされてパッケージされた肉しか見たことがない子どもたち、トウモロコシが黄色い姿で土から生えていると思っている子どもたち(これには私も驚きました)、食べ物ではありませんが、死んだカブトムシを電池が切れたと称した子どもたち、こういう子どもたちに命を実感させることは難しいでしょう。

今日、口にするものの出自をしばし考えてみる、ということは時に必要なことだろうと思いますし、何らかの機会に屠殺(差別語になっている)の現場を目にすることも重要かとは思います。焼き鳥やで毎日必要な鶏を解体する店も多いので刺激に弱い人はそのあたりから見せてもらうのもよいでしょう。野菜も育てる過程から目にすると随分と違う感覚で食すようになるのではないでしょうか。

「いただきます」が「生きていたものの命をいただきます」だということを実感できることは大切な教育だと思います。
関連記事
スポンサーサイト
プロフィール

西きょうじ

Author:西きょうじ
予備校講師歴も30年以上になりました。いろいろなことがありましたが、様々な方向へと越境しつつ自分を更新していきたいと思っています。

参考書「英文読解入門基本はここだ」「ポレポレ英文読解プロセス50」「情報構造で読む英語長文」「リーディング&ボキャブラリー」「英文速読のナビゲーター」「英文の核」「英文法の核問題演習編」
一般書「踊らされるな、自ら踊れ」「越境へ」(共著)「仕事のエッセンス」「そもそも」「星の王子様さまを英語で読もう」

カテゴリ
月別アーカイブ
Twitter
 
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR